こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

占領期日本における英語教育構想

読了。勉強になった。


広川由子 (2014). 「占領期日本における英語教育構想」『教育学研究』81(3), 297-309.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku/81/3/81_297/_article/-char/ja/

新制中学校(ということはつまり義務教育課程)に、なぜ外国語科(英語科)が導入されたのかを検討した研究。戦前の高等小学校(←事実上、新制中学校の前身)では英語教育はほとんど行われていなかったので、戦後の新制中学に外国語科(英語科)が設置されなくてもおかしくなかったわけで、どうして以上のようなカリキュラム編成が行われてきたかは謎に包まれていた*1


「そんな根本的なことがわかっていなかったのか!」と驚くひともいるかもしれないが、仕方ない部分も大きい。終戦直後、つまり占領期の資料は戦前に比べてもアクセスが難しいことが少なくないからだ(GHQにより公開が制限されていたり、出版事情が劣悪だったり)。


本論文は、当時の日米両政府の政策文書を検討することで、義務教育への「英語科」導入は、米国政府がイニシアチブをとったものだったことを明らかにしている。その一方で、日本側は、「外国語科」の設置に終始消極的だったらしい。


拙著『「なんで英語やるの?」の戦後史』は、選択教科だった中学英語が「事実上の必修教科」になったのはなぜかを検討したもので、選択教科にせよ何にせよそもそもなぜ中学に英語が導入されたのかを検討する余裕はなかった。私の「あやふやな仮定」では、新制中学校発足前後、英語科は少なくとも政策レベルでは冷遇されていた。その仮定をもとに本土占領後の歴史を分析したわけだが、その仮定が一応裏付けられたようなので、足場を固めてもらえた気がした。

外国語教育目的論(目標論)を研究している人(がどれだけいるか不明だけど)は必読だと思う。

ところで、単に英語教育研究者だけでなくその他の外国語(とくにフランス語・ドイツ語)の教育研究者にも重要な知見が含まれている。現代の中等教育の外国語科における英語科の独占市場は、ひょっとすると当時の占領政策に起源があるとも解釈できるからだ。財政逼迫や戦後の混乱もあり日本側は外国語科そのものに消極的であり、米国側のプレッシャーのなかでかろうじて設置できたのが英語科だったからだ(ここは著者の主張)。もし日本側がイニシアチブをとって外国語科設置に動いていたら、戦前の中高等教育における英語・フランス語・ドイツ語等の「遺産」を背景に、英語の独占市場は生まれていなかったかもしれない(ここは寺沢の感想)。

*1:同時代を生きた英語教育関係者のなかには、戦後の義務教育課程に英語が入った理由を高らかに歌いあげた人々もいるが(拙著『「なんで英語やるの?」の戦後史』参照)、それは実際のところ想像の産物だったり、関係者の願望にすぎない場合がほとんどだろう。