こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

「事例研究」というゴミ箱カテゴリ

『英語教育のエビデンス』の第5章で、私は、事例研究についてある程度ページを割いて書きました。

要は、これまでの「教室指導フォーカスの実証研究」は、なんとなーく「効果的な指導のエビデンスを得るため」という目標をもとに行われてきたものが多いけれど、種々の制約ゆえに、ほとんどが「エビデンス」を論じる水準に行かない。だから、そもそもの発想の転換が必要。とくに、事例研究として位置づけし直したほうがいいんじゃないですか、という提案。

一方、この「事例研究」という言葉はかなりの曲者で、ゴミ箱カテゴリのように使われてしまっています。私は同書のなかできちんと定義して使っているつもりですが、一方で、「外的妥当性・内的妥当性は乏しくても、研究者が(および研究者の卵が)自分の "身の丈にあわせて" 研究対象を選んで取り組んだ研究」みたいな緩い使われ方をしているのをよく聞きました。とくにエビデンス本への反応としてそういうものが何度かありました。

事例研究とは

私は、同書の中で事例研究を以下のように定義しました。

ここでの事例研究とは、理論的な貢献度の高い事例に注目し、その事例を総合的に調査・分析する研究です(ジョージ・ベネット, 2013)。 (p. 90)

この定義、今あらためて読むと、ややミスリーディングなところもあったかなあと反省しています。

英語教育研究での、ゆるふわメソドロジー論議では、上記定義の後半、つまり、「事例を総合的に調査・分析する研究」という部分に注目があつまりがちな気がしますが、重要なのは前半です。つまり、「理論的な貢献度の高い事例に注目」の部分。

どういう理屈で事例を選んだかが重要

要するに、どういう理屈で事例をピックアップしたかが重要なのです。

この点を図式化すると以下のとおりです。

  • A: 理論の観点から、ある事例をピックアップした研究
  • B: 理論以外の観点で、ある事例をピックアップした研究
    • B1. 「問題な事例」「解決が必要な事例」をピックアップした研究
    • B2. 自分の事情で、ある事例をピックアップした研究

上記のうち、私の定義が意図していたのは、A. です。といっても、これは私の独自定義ではなく、おそらく多くの"学術的"事例研究を行っている研究者が同意してくれると思います。この研究は、いわゆる狭義の一般化は志向していませんが、理論を媒介物にすることで、他の研究者とのコミュニケーション可能性を担保するわけです。平たくいえば、他の研究者にも理論的示唆を与える、という感じでしょうか。つまり、「受益者が他者」という意味で、狭義の「研究」と言えるわけです。

また、B1は、研究者が「ソトの人間」として記述に徹するものもそうですが、研究者自身が実務家として問題解決に取り組むアクションリサーチも、このカテゴリに入るでしょう。こちらも、応用志向の分野にとっては貴重な研究だと思います。この研究は、たとえ学術的貢献が微妙だったとしても、似たような問題が生じた場合、確実に役立ちます。ここから明らかな通り、これも受益者は他者です。

一方、B2. は、いわゆる(いわゆらない?)「やってみました」研究*1です。 「私の生徒からデータをとってみました」「私の教室で指導法を試してみました」「私の知り合いに聞いてみました」のようなもの。なぜその生徒・教室・知人を対象として選んだかといえば、アクセスしやすかったから以外に理由がない。 この手の研究は、ふつう、学術的にも実務的にも評価されないでしょう。なぜなら、この場合、受益者がいないからです。強いて言えば、「受益者=自分だけ」でしょうか。たとえば、「自分の学位取得のため」とか「自分の成長のため」とか。

以上を総合して、具体的な提案をするとすれば、3つの事例研究――つまり、理論的事例研究、問題解決型事例研究、その他――のうち、最初の2つだけを事例研究として認めるのが、適切だと思います。で、「その他」には、別の名前を与える。

その他のうち、「自分の学位取得のための事例研究」は論外です(「事例」にされる側の気持ちに思いを馳せてみてください)。

一方、「自分の成長のための事例研究」は、「教師の成長」がキラキラワードとして受け入れられている昨今、位置づけがかなり微妙です。ただ、個人的には、教師の成長を、「人を対象にした」「エンピリカルな研究」が担う必要があるのかはかなり疑問です。教師の成長は、戦前から、狭義の「研究」とは別のチャンネルで、実践が蓄積されてきたのではないでしょうか。

念のため注記しておくと、ここでいう「事例を選んだ理屈」とは、建前としてどういう理屈を事後的に述べられたかが重要です。 たとえば、研究スタート時には、「自分の教室だから選んだ」以外に理由はなかったのだけど、研究を通じて、理論や問題解決といった、「他者に開かれた」観点と接続ができた場合は、この限りではありません。(ただし、単なるこじつけになりかねないので、「最初は自分の都合で選んでOK!」と開き直り過ぎるのも考えものです)。

蛇足

本書の姉妹編という噂がある『はじめての英語教育研究』でも、「事例研究」という言葉を重要な研究分類タームとして使っていますが、上記の私の理解と異なるところがあります。 しばしば、「質的研究の一部としての事例研究」みたいな整理で理解されがちだけれど、量的事例研究というアプローチも普通にあるので、ここは腑分けしないと、質的研究コミュニティにとっても不幸が多いように思います。

terasawat.hatenablog.jp


*1:追記。そういえば「やっこう」研究という言葉があることを思い出しました。「やってみたら、こうなった」の略。