こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

寺沢ゼミ(17→18)、12月は『はじめての英語教育研究』を読んでいます。


12月の計4回の授業で、同書の3章・4章・5章・6章をそれぞれ読んでいます。
ゼミ生は夏休みレポートとして、ミニリサーチをしました。研究法について学ばないまま、ぶっつけ本番でのリサーチだったので、多々、課題にぶつかりました。その時の疑問を解消できればよいなと思います。


3章(2017年12月1日)

ディスカッショントピック


寺沢のコメント
p.39 図書の下位分類
図書の下位分類として和書・洋書・論文集という分け方をしていて、出版プロセスに関する区別としてはわかるが、図書の守備範囲・想定読者の点からさらに次の点は区別したほうが良いように思う:(a) 教科書、(b) 学術書、(c) 大衆向け読みもの。さらに、人文社会系だと (d) 知的一般書(b と c の中間)という区別もあり得る。(a) と (c) は基本的な勉強としては良いだろうが(また「文献データ」として扱うなら問題ないだろうが)、卒論を書く上での先行研究として使うのはけっこう難しいだろう。
p.39 学術書の下位分類
学術書を初学者が扱うのは実はけっこうややこしそうだ。最低でも次のものはかなり性格が異なる:モノグラフ(各章は厳密に連携している)、論文集(各章のつながりはゆるやか)、単著化された学位論文。さらに言うと、論文集は、特定のテーマに基づいた論文集という「王道」の一方で、「◯◯先生退官記念論文集」みたいなほとんど中心的テーマがないものもある。紀要を含めてこの辺の日本的(?)特殊事情はどの段階で理解すべきだろうか。
pp.39-40
図書・学術誌・論文・その他という分類をもとに論じているが、前三者は議論のレベルが違うのではないだろうか→ 論文⊂(図書|学術誌)
p.42
インターネット書店の説明なので「日本の古本屋」にはカッコが必要。(少なくともゼミ生の一人はこの部分を誤解)

4章(2017年12月8日)

ディスカッショントピック


寺沢のコメント
p.68 PICO/PECOの原則は因果モデルが前提
PICO/PECOの話は研究デザインを反省するのに便利だが、因果モデルを前提にしている点に注記があったほうが親切に感じた(ま、好みの問題かも)。一般的なフィールドワーク研究や歴史研究でPICOに則ることにはあまり意味がない(意味がないからこそ、パッケージ化が難しいのだが)
pp.71f
事例研究、調査研究、実験研究というユニークな三分法は意欲的な分類と言えるが、疑問も残った。以下に述べる。
p.71 事例研究の定義
「(ある事例を取り上げ)観察したり聞き取りを行ったりする」という定義の仕方では、後の議論で登場する「調査研究」との区別が難しいだろう。事例研究の例として示されている千田 (2014) の研究も、調査研究に含んでも問題がなさそうに思える。一方、上記の定義の仕方では、特定の国の英語教育政策の分析や特定の学校・コースのカリキュラムに関する分析という、政治学・教育学・経営学等での王道的な事例研究は除外されてしまう(とくに史資料を用いる事例研究は上記の定義では確実にこぼれ落ちる)。もちろん本書独自の定義を採用することもあり得るが、以上のような無用の混乱を避けるため、先行研究に従っておいたほうが無難に思える。たとえばジョージ&ベネット『社会科学のケーススタディ』(勁草書房)のように、たとえば「研究者が理論的に選択した事例(=境界が理論的に明確に区切れる単一の出来事・事象)を総合的に理解する研究」程度であれば上記のような齟齬が生じないと思う。
pp.71-3 調査研究・実験研究の定義
いずれも30字程度のごく簡潔な定義である点が心もとない。定義の直後に「例えば、…」とすぐ例示が来るが、この例示では各研究の外延を示すことは難しいだろう。たとえば、「調査研究」の項目で例示されているものは質問紙調査を前提にしたものだが、フィールドワークも調査研究に含むが普通ではないだろうか。
p.78 フィールドノーツ
これは本書の評価とはまったく関係ない独り言。「英語教育の分野ではあまり見られませんが、日本語教育や保育の分野では、フィールド・ノーツの記録をデータとして収集し、分析している研究があります」の部分。定義上、フィールド・ノーツに依拠しないフィールドワークはあり得ないわけで、これは英語教育研究でフィールドワークがいかに行われていないかということだろう。英語教育研究で質的研究が増えているとしばしば言われているが、実際にフィールドに入る研究は(日本の大学院では)ほとんどなされておらず、お手軽なインタビュー研究が大多数を占めるという現状。なかなか気が重い。参考→https://www.jstage.jst.go.jp/article/esjkyoiku/11/0/11_133/_article/-char/en
p.80 自由記述型の質問紙
自由記述型の質問紙は、かなり限定的な状況でしか意義が発揮できないように思う。参考→http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20151211/1449828836
p.81 構造化インタビュー
構造化インタビューは、(半構造化/非構造化インタビューと異なり)量的な社会調査で主に用いられる手法だと思う。したがって、図4.8のようにマッピングするのはミスリーディングだろう。
文献 p.207下から3行目
誤『実践研究のすすめ』→正『実践的研究のすすめ』


  

5章(2017年12月15日)

ディスカッショントピック



寺沢のコメント

今回、再読して気づいたのだが、英語教育研究の質的研究(と括られるもの)を論じるのは、社会科学の場合より、一段複雑だということだ。英語教育研究の数%から何割かは、言語学的研究(=言語理論を前提とした研究)であり、言語学的研究は他の人間科学(社会科学に加え、心理学、看護学)における「量的研究 vs. 質的研究」の分類のいずれにもうまく当てはまらない。言語学的研究、とくに言語学の理論的研究で用いられる言語データは、非数量形式なので一応質的データと言えるが、人間科学の質的研究のようにデータに含まれるメッセージを分析しているわけではない。

その意味で、英語教育研究にとって最大の逸脱事例になり得るのが談話分析(数値化を伴わない談話分析)である*1。データ自体は質的だが、談話の形式を分析しているのであって、談話に内包されたメッセージを分析しているわけではない(その一方で、批判的談話分析(CDA)の場合はそうとも言い切れないので、この問題はいっそう複雑である)。同様のことは会話分析にも言える。社会学メソドロジーの教科書では、私見では、会話分析にはまったく別の章をあてがわれることが普通で、質的研究の延長線上で論じられることはあまりないだろう。

なお、この「言語研究に付随する逸脱事例問題」は、量的研究にも存在する。コーパスである。コーパスでは、介入もしなければ、調査紙によるデータ収集もしないが、他方、高度な統計手法を必要とする。いわゆる実験でも、いわゆる調査でも、コーパスの位置づけは説明しにくい。


p.90.
質的研究は「量的研究のように条件や要素を統制することなく、自然な環境においてデータを収集し分析すること」という記述があるが、ミスリーディングだと思う。これは、量的研究ではなく、実験研究の特徴づけだろう。
pp. 98f. 事例研究に関して
本章の事例研究の定義は納得がいくものだが、前章の事例研究の説明の仕方(上記参照)とかなり前提が異なるので、教科書としては統一したほうがいいのではないだろうか。なお、随所によくわからない記述があった。
「英語教育における事例研究は、心理学と言語学を源流とし、第二言語統語論、音韻論などの領域で言語の発達について客観的な立場から研究が行われてきました」(p. 98)
「事例研究は、本来量的研究でも行われるものですが、最近は、質的データのみを用いた解釈的な立場の質的研究と結び付けられることが多くなっています」(pp. 98-9、強調引用者)
pp. 105f. GTAについて
本節で著者らも述べているとおり、GTAには6種の版がある(正確には、「6種の版があると木下康仁氏が整理している」)。その点を踏まえると、本節の記述は、別々の版の説明をパッチワーク的に構成されているように感じた。たとえば、GTAを「分析の技法」に矮小化してはいけないという p. 107にある説明は、木下によればオリジナル版やM-GTAに特徴的な留意点だろう。一方、p. 105 で紹介されている、理論的飽和をあまり重視しない英語教育版GTA(?)は、どの版をベースにしているか不明だが、前述のものとかなり異質である。
pp. 107f. 「質的記述的研究」
浅学ゆえ質的記述的研究という立場を初めて知ったのだが、非常に興味深く読んだ。「質的記述的研究の特徴は、(a) 他の質的アプローチによる解釈的記述と比べ、データから離れ過ぎたり、入り込んだりすることは求められないこと、(b) データの概念的解釈や高度に抽象的な解釈を必要としないこと、の2点です」(p. 107) という部分。質的研究の主要な概念をあえて(?)考慮していない印象を受けるが、ここまで開き直ることもありなのだろうか(あげられている参考文献を読んでいないので評価不可能)。印象では、ジャーナリスト(特に中立派を志向するジャーナリスト)によるルポルタージュに近いのか、などとも思った。
pp. 110f. 質的研究の文脈での質問紙
質的研究の文脈で、質問紙が説明されているのは違和感があるが、自由記述型質問紙ということだろうか。いずれにせよ、リサーチで自由記述型質問紙の使用が推奨される場面はかなり限られる。参考→http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20151211/1449828836 したがって、リサーチ入門者には向かないのではないか(ただし、小中高の自由研究や、自治体・企業等のいい加減な「実態調査」では本当によく使われる手法なので、警告のために言及するということであればたいへん大きな意義があるだろう)。
pp. 114f. 会話分析の位置づけ
著者らも書いているとおり(6.1節・第5行)、会話分析をデータ分析法に位置づけるのは不適切だと思う。であれば、なぜ「データ分析法」の節に置いたのだろうか…・?
pp. 116. 談話分析の位置づけ
同上。談話分析(言語学的な談話分析)も、言語理論を前提にしており他のアプローチと相容れない以上、データ分析法に独立して位置づけるのは不適切だろう。
p. 116. 「談話分析=言説分析」
「談話とは、会話と文書のテキストの両方を指し、談話分析は言説分析とも呼ばれます」とあるが、この説明はミスリーディング。日本語の「言説分析」は、ふつう、言語学・社会言語学における談話分析 (discourse analysis) とは異なるものを指す。参考: 『言説分析の可能性』を読んでみた。 - Togetter
pp.132f
倫理的配慮の重要性という節が、質的研究の章にある点、たいへん不思議に感じた。

6章(2017年12月22日)

ディスカッショントピック



寺沢のコメント
p.155
「推測統計には、関連性の強さを推測するものと、差の有無について推測するものがあります」とあるが不正確な記述に思える。いずれの文脈にせよ――関連性の検定(例、無相関検定)にせよ差の検定にせよ――推測しているのは母数(パラメーター)ではないだろうか。
p.156
「相関は通常0から1の間の数値(相関係数と呼びます)で表され、1に近ければ近いほど相関が近い」。5行くらい後の文章を読めば一応この部分の意図するところは理解できるが、この部分だけ見れば不正確な記述であり、表現に工夫が必要に思う。
p.160
対応のあるt検定の説明がミスリーディング。「同じグループで収集した2回のデータを比較する時」の部分。基本的に、文字通り「対応のある」ものはすべて適用可能なので、「2回のデータを比較するとき」というは文脈の明示は混乱のもとのように思う。
たとえば、異なる学習法で勉強したAさんとBさんが毎月単語テストを1年間受けるとして、二人の全12回分のテスト平均点を比較するときは「対応のある◯◯検定」を使うはず。

授業では扱わなかった他の章に関して寺沢のコメント

1章
pp.8-9
「3.1. 研究の大まかな分類」の節。これは野心的な提案だが、いろいろ問題が多いように思う。この分類だと歴史研究が実証研究の埒外に行ってしまい、研究実態と異なる(たとえば「実証史学」という言葉と矛盾を起こす)。この本には、歴史研究および文献を中心にした事例研究(政治学などにおける狭義の事例研究)に関する解説が掲載されていないが、これらを扱おうとするならば本節の分類は再検討が必要に思う。


*1:ついでにいうと、社会言語学でも同様の問題にぶち当たる