この本の帯ですが...
帯の左側に注目。
英語力ゼロの大人が
子どもを伸ばすための
39の提言
と書いてある。
これはなかなか味わい深い曖昧文である。
解釈1
英語力ゼロの大人であっても、子どもの英語力を伸ばせます。そんな提言を39個用意しました。
(主語「大人」の述語は「伸ばす」)
解釈2
私は、英語力ゼロの大人ですけど、子どもの英語力を伸ばすための提言を39個しました。
(主語「大人」の述語は「提言」)
本の想定読者(=保護者)という文脈を理解していたら、第一の解釈が自然だというのはわかるが、本の帯を最初に見た人であれば第二の意味でとる人も多いのではないだろうか。
「○○ができない人が提言した○○教育法」という売り文句ほど営業妨害も甚だしいものはないと思うので、この帯を書いた人はもう少し気をつけたほうがいいんじゃないだろうか。いや、曖昧さを狙ってあえて書いていたのならすみません(その狙いはよくわかりませんが・・・)
ところで偉い先生の英語教育論の本といえば、自分の英語遍歴に数章が割かれている事は多い。「こんなにバリバリ英語を使ってきた私が言うんだから、私の英語教育論は間違いない」という機能を果たしているんだろう。もちろん、英語ができる人が言おうが言うまいが、正論は正論であり、誤びゅうは誤びゅうである。英語ができる人が言っていたほうが説得力は上がるけれど、それと科学的正しさはまったく関係ない(説得力と正しさは別だから)。
対照的に、上記の本は著者の英語遍歴が一切書かれていない。好意的に言えば「中立的な記述」と言えるのだけれど、本の帯もあり、英語のユーザーというわけではないのかもなあと邪推してしまった。なお、ざっくり読んだ限りだけれど、「著者が英語力ゼロ」に類する記述は見当たらなかった。