こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

英語教育時評「4技能入試は改革の切り札か?」

大修館書店『英語教育』11月号の英語教育時評に「4技能入試は改革の切り札か?」と題したコラムを寄稿しました。

8月、外国語教育メディア学会でのパネルディスカッションでの報告を、(力技で!)1700字にまとめたものです。

参考:LET2018パネルディスカッション 各報告者の資料ダウンロード先 - こにしき(言葉・日本社会・教育)

要約すると、「大学入試を変えると現場も変わるってよく言うけどそれって本当?なんだか high-stakes test なんだから影響あるのは当然だよねーみたいな風潮があるけど、テスティング研究者であれ誰であれ、検証してないでしょ。どっから来るのその前提?」という話です。政策研究の観点から論じました。

ちなみに、「好影響だけでなく悪影響もあるよ」という(陳腐な)話をしているわけでなくて、「そもそも影響あるっての確かめてなくない?なんでそんなに『ある』前提なの?」という立場です。

英語教育 2018年 11 月号 [雑誌]

英語教育 2018年 11 月号 [雑誌]

いただきもの:フランソワ・グロジャン著(西山教行監訳)『バイリンガルの世界へようこそ』

監訳者である京都大学の西山教行さんよりご恵贈いただきました。
ありがとうございます。
勉強させていただきます。

バイリンガルの世界へようこそ: 複数の言語を話すということ

バイリンガルの世界へようこそ: 複数の言語を話すということ

小学校英語論に関する本を読みまくってメモするだけのページ

諸事情により、小学校英語に関する本を読みまくる必要があります。読んだ本と、気づいたことをここにメモします。

小学校英語「論」という部分がポイントで、指導法に関する本や低年齢者の言語習得に関する本は基本的にパスです。

鳥飼玖美子著『子どもの英語にどう向き合うか』(NHK出版新書)

2018/10/04 読了

子どもの英語にどう向き合うか (NHK出版新書 562)

3章に、「学習指導要領解題」みたいな部分がある。教員には役立つだろうが、一般のひとにはなかなかきつそうだ(笑)。著者の責任というより、学習指導要領の悪文のせい。

昔から悪文だったが、最近は、改訂のたびにいっそう悪文になっている気がする。

僕も『これからの英語教育の話をしよう』で次期学習指導要領の解題をやったが、はっきり言って、そのまま引用して理解してもらうのは無理だと判断した。引用の後に必ず「意訳」を添えて、本文を読まなくても読み進められるようにした。

寺沢ゼミ(18→20)久保田竜子著『英語教育幻想』を読んでます

寺沢ゼミ(18→20)では、久保田竜子著『英語教育幻想』を読んでいます。全10章構成なので毎回一章づつ事前に要約したうえで、一分間のディスカッショントピックを用意してきたうえで、ディスカッション。

しかし、20人もいるので、毎回、緊張感がすごい(主に僕の)。90分の間に発言が全員に回るか、ディスカッションが終結するのかいつもドキドキ。

このページを毎週更新します。

 

第1章 (10月3日)

幻想1 アメリカ・イギリス英語こそが正統な英語である

そういえば、誰も world Englishes という部分につっこんでる人はいなかった。大学生にとって別におもしろい話でもないのか、自明なのか、何なのか。。

 

第2章 (10月10日)

幻想2 ことばはネイティブスピーカーから学ぶのが一番だ

安易にネイティブスピーカー至上主義をなぞるようなコメントが結構出ていた。この章を読んだうえでどうしてそういう意見になるのと思い、テクストをもう少し丁寧に読むようにと小言を言う。

今回は、板書係が黒板ではなくグーグルドキュメントでやりたいというので、テクストデータが丸々手に入ったので以下にコピペ。

  1. 自分がネイティブと思うのと他者がノンネイティブと思うのが一致しなかったら承認されないのは違和感がある。
  2. 結局ネイティブの人と話すほうが英語を身につけやすく、ノンネイティブがお手本になるのか疑問に思う
  3. ノンネイティブのほうが分かりやすい。教わるのは非母語話者からのほうが良いのでは?
  4. ネイティブ性ではなく人種差別ではないのだろうか
  5. 書くことが苦手な現地の人。日本人は書くことが得意。矛盾がある。
  6. ネイティブスピーカーに学ぶのが良いというのは一概には言えないのだろうか
  7. ネイティブかノンネイティブかを見た目で判断される
  8. ことばの意味は聞き手がどう受け取るのかを考えるべき
  9. 言語と見た目は関係がある
  10. 書き言葉はネイティブの人が良いと思えるのは日常的に使用しているからであり、ノンネイティブの差はそこから生まれるのでは
  11. ネイティブかつ日本語話せる人の方が分かりやすかった。その人の能力によるのでは?
  12. ネイティブスピーカーより文法構造を理解している人のほうが良いのでは
  13. ノンネイティブの有利な点をもっと押し出すべきなのでは?

 

第3章 (10月17日)

幻想3 英語のネイティブスピーカーは白人だ

英語話者と人種(白人性)の話。テーマがテーマなので、中学校の道徳の授業みたいになるのを警戒していたが、やはり道徳話法は出てきてしまった。

まあ、道徳話法は、今までの学校教育で、おそらく明示的にダメと言われてきておらず、むしろ推奨されすらしていただろうから仕方ない。言った学生を人柱にしたようで少し気の毒だったが、「これより先、道徳の授業のようなコメントは禁止」という制約を課した。この制約で少しは改善したと思う。

 

第4章 (10月24日)

幻想4 英語を学ぶことは欧米の社会や文化を知ることにつながる

  1. オリンピックのボランティアについて
  2. 日本の文化を発進させる
  3. 国旗・国家法の導入についてのトラブルから これ以降 という表現はいかがなものか
  4. 英語の教科書を日本人が作ったが、米国との関係を考えた
  5. 反中や反北朝鮮に対する反感
  6. 言語が違うだけで、伝わらない。言葉が重要。
  7. 英語教育の国際化はまだ発展途上ではないか
  8. テニス留学でアメリカが人気なのも中心円の国になっている
  9. 世界語としての英語という考えに共感
  10. 第三次答申でコミュニケーション重視したとあるが本当にできているのか
  11. 1930年代の英会話講座はどのような内容だったのか気になる
  12. 英語に興味を持とうとしていたが、実際は政財や経済が関係している
  13. 中心円と外周円の発展の差ということも考慮するとはたして本当に欧米中心主義なのか
  14. 北朝鮮怖いとかは日米同盟に関係ないのでは
  15. 日米同盟の影響力はそこまであるのか

   

第5章 ( 月 日)

幻想5 それぞれの国の文化や言語には独特さがある

 

第6章 ( 月 日)

幻想6 英語ができれば世界中だれとでも意思疎通できる

 

第7章 ( 月 日)

幻想7 英語力は社会的・経済的成功をもたらす

 

第8章 ( 月 日)

幻想8 英語学習は幼少期からできるだけ早く始めた方がよい

 

第9章 ( 月 日)

幻想9 英語は英語で学んだ方がよい

 

第10章 ( 月 日)

幻想10 英語を学習する目的は英語が使えるようになることだ

関西学院大学・言語コミュ(略)研究科 公開セミナー「『なんで英語やるの』の戦後史」

2018年10月20日(土)、本学大学院の公開セミナーに登壇します。

関西学院大学言語コミュニケーション文化研究科 第2回公開セミナー&入試相談会

■ 日時: 10月 20日 (土) 13時 00分  ~  16時 00分

■ 場所:関西学院大学大阪梅田キャンパス10階 OC1004教室

言語コミュニケーション文化研究科の教員による講演会(公開セミナー)、研究科説明会および入試相談会を開催いたします。
どなたでも自由にご参加いただけますのでお気軽にご来場ください。
※一般参加可、申し込み不要、無料。

言語コミュニケーション文化研究科 公開セミナー&入試相談会 | 2018年のイベント情報 | 関西学院大学 大学院 言語コミュニケーション文化研究科

 

講演会は13:00~14:20です。

タイトルは、「『なんで英語やるの』の戦後史」です。

同名の拙著(以下)をベースにした話です(なので、同書の議論をきちんと理解している人にとっては聞く必要がない内容です)。

 

講演概要
英語が義務教育課程の事実上の必修教科になったのは実はそれほど昔のことではない。1950年代中頃までは、学校で英語を一切学ばないまま社会に出ていく人も決して少なくなかったからだ。現代の私たちにとって自明な「みんなが英語を学ぶ」という状況は、戦後のごく短い期間に、しかも様々な時代的偶然によって生み出された特殊な制度なのである。戦後史を紐解きながら、このユニークな制度の来歴を考えたい。

 

「なんで英語やるの?」の戦後史 ??《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程

「なんで英語やるの?」の戦後史 ??《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程

読書ログ:B. ダナーマーク他著『社会を説明する』8章(最終章)

Danermark, B. et al. 2002. Explaining Society: An Introduction to Critical Realism in the Social Sciences. Routledge.

Explaining Society: Critical Realism in the Social Sciences (Critical Realism: Interventions)

本書、ログ取りはなかなかきつかったですが、これにて終了です。

同書、以前の章のログはこちら

Chapter 8. Conclusion

Causality and mechanisms

物事は理由もなく生起するものではない。物事の背後に因果的なパワー、つまり、生成メカニズムを想定するのが批判的実在論の基本的な立場である。

The differentiation and stratification of reality

リアリティには階層性がある。

  1. . the domain of real →生成メカニズム
  2. . the domain of actual →生み出された出来事(経験されようがされまいが関係ない)
  3. . the domain of empirical → 出来事のうち、経験されたもの

The basic one is the so-called domain of real. Here we find the mechanisms. They exist irrespectively of whether they produce an event or not. When the mechanisms produce a factual event, it comes under the domain of actual, whether we observe it or not. When such an event is experienced, it becomes an empirical fact and comes under the domain of empirical. That means the critical realist perspective of the world is that the reality scientists study is larger than the domain of empirical. (p.199)

カニズム自体にも階層性がある。たとえば、化学的メカニズム → 生物学的メカニズム → 心理学的メカニズム → 社会構造的メカニズム というような階層性。

Closed and open systems

システムには2種類ある。他のメカニズムに孤立して働いている閉鎖システムと、相互作用を免れない開放システム。社会科学の対象は常に後者。

The transitive and intransitive dimensions of reality

リアリティには2つの次元がある。私達の認識と独立した自動詞的次元 (intransitive dimension)と、認識に依存した他動詞的次元 (transitive dimension)。

The hermeneutic conditions of social science

社会科学は、自然科学と違って、研究の対象そのものが反省的に行為をする。また、社会的アクターが行為の結果生み出した事物にとどまらず、「生み出された解釈」も研究対象である。したがって、解釈学的条件は避けては通れない。

The critical element of critical realism

結局、批判的実在論の「批判的」というのはどういう意味なのか。5種類の答え方があり得る。

  1. . 経験主義批判:'flat' な経験主義に対して批判的という意味。「フラット」というのは、リアリティの諸次元を区別せずクソミソにした議論、的な意味だと思う
  2. . 構造とエージェンシーの合成に対する批判:一方を他方に従属させるような構造/エージェンシーモデルに対する批判(7章 Transformation Model of Structure/Agency 参照)。バスカーのもともとの「批判的」に近いのがこの用法。
  3. . 科学的普遍性に対する批判:科学の他動詞的次元を強調することで、実証主義社会科学の限界を批判する
  4. . 社会批判:社会構造を大前提にすることは、必然的に、支配・権力などの問題に発展する
  5. . 解放的=批判的:批判的実在論というレンズを通して「当たり前」を疑えるようになる。例、「性差」を生物学的な問題だと素朴に信じていたが、社会構造という補助線を入れることで、社会的な問題として捉え直すことができるようになる

Critical realism and methodology

方法論に関するポイント

  • 共約不可能性 (incommensurability) や方法論的相対主義には懐疑的。「知識が認識に依存する」のは事実だが、それは程度問題であって、「あらゆる知識が同程度に認識に依存する」わけではないから。
  • 事実に理論負荷性があることは間違いないが、事実が理論によって決定されていることは意味しない
  • カニズムの探求において、伝統的な演繹&帰納だけでなく、アブダクションとリトロダクションを利用すべきだ。

読書ログ:B. ダナーマーク他著『社会を説明する』(7章)

Danermark, B. et al. 2002. Explaining Society: An Introduction to Critical Realism in the Social Sciences. Routledge.

Explaining Society: Critical Realism in the Social Sciences (Critical Realism: Interventions)

同書、以前の章のログはこちら


Chapter 7. Social science and practice

科学は、実践・実社会とどう連関していくか。
解放:"we would like to argue that the social sciences are of great relevance to social life, and that the knowledge they provide can be emancipatory." (p.177; emphasis added)

A precondition: the distinction of agency and structure

エージェンシーと社会構造を区別しなくてはならない。
→構造は目的設定・実現へ向けた行動をしない。エージェントのみが動因 (cause) として機能する。

This is obviously the most important difference between social structures and agents: social structures cannot set up goals and they cannot act; only humans can ? agents are the only effective causes of society. (p.179)

そして、どちらか片方が他方に従属するようなパラダイムでもいけない。

  • だめな例1 social fact paradigm(構造が主): 個人の自律した作用を扱えない
  • だめな例2 agency paradigm(エージェンシーが主):構造の自律した作用を扱えない

構造が先、エージェンシーは後

While social structures cannot be reduced to individuals, the former are a prerequisite for any human action ? social structures enable actions but they also set limits to what actions are possible. (p.179)

創発性 (emergence) の重要性:構造もエージェンシーも、異なる powers and properties を持つ

the social structures are always the context in which action and social interaction take place, at the same time as social interaction constitutes the environment in which the structures are reproduced or transformed. Structure and agency are separate strata, that is, they possess completely different properties and powers, but the one is essential for how the other will be moulded. (p.181)

創発性を考慮するとは、時間を考慮すること。創発性はプロセス。

時間軸で構造とエージェンシーを見るための分析的二元論 (analytical dualism). 構造・エージェンシーの二元論は通常知覚されるものではなく、社会科学の分析枠組みで初めてわかるというもの。

‘Dualism’ refers to the fact that social structures and human agency are different strata, ‘analytical’ to the fact that these strata and the interaction between them cannot be detected in the flow of social action and human experiences, but only by means of social scientific analysis. (p.181)

分析的二元論と時間:構造が行為に先行する。構造的精緻化 (structural elaboration) は、アクションによって創られるため、アクションの後に来る

Social science and social planning

社会計画には何らかの形で予測が必要。「予測」という概念は社会科学の歴史の中で重視される場合もあればそうでない場合もあった。←→説明との対比

説明あり 説明なし
予測あり 1 2
予測なし 3 4
  • ヘンペル=オッペンハイム的科学観では、科学的説明とは適切な予測をするものである。
  • リトロダクションは、予測なしの説明。
  • 説明の有無に限らず「予測あり」は閉鎖システムを前提とした話で、開放システムにおいては非現実的。(なお、社会における様々な人工的組織・制度は、人間の制御可能性をあげるために作り出された疑似閉鎖システム pseudo-closed systems と考えることができる)

社会(社会構造)と人間(エージェンシー)、相対的自律のなかでの相互依存関係

Societies exist and are what they are ? among other things open, changeable systems ? because we are humans and are what we are. And we as humans are what we are because societies exist and are what they are. But a society and a human being are not two sides of the same coin. On the contrary, they are two entirely different phenomena, each with its own relative autonomy. (p.187; emphasis added)

社会科学者が実務家に提供すべきなのは、処方箋ではなく理論である。”What social scientists should provide practitioners with is not prescriptions but social scientific theories.” (p.189)
社会科学ベースの「処方箋」は特定のコンテクストを前提にした知識であり、閉鎖システムならともかく、開放システムでは役に立たない。実務家にとって真に役に立つのは、事象を生み出すメカニズムについての知識であり、それはつまり理論に関する知識である。

An example: elderly people and relocation

高齢者の転居政策に関する意思決定を事例に。
「転居は死亡率に影響を与える vs. 与えない」

But we [=social scientists] cannot say ‘Relocate!’ Nor can we say ‘Avoid relocation!’ Only someone who has insight into the real circumstances and the daily life of the people concerned may estimate how these mechanisms may manifest themselves in specific cases. And to be able to do this, practitioners must make use of social scientific theories which specify the structures and mechanisms that are relevant to the field. (p.192)

↑どのような処方箋を採用するかは(あるいは処方箋を新たに生み出すかは)、特定の現場に対して豊富な知識を持っている実務家が行うべきであって、相対的に抽象度合いの高い知識(≒理論)を専門にする科学者ではない、という話。

Social science as social criticism

科学と解放 (emancipation):自然科学では、(自然)科学の力で迷信・幻想を取り除き、誤った(自然に関する)知識を正しい知識に置き換えることが解放であるという、比較的シンプルな考え方が流通している。

社会的な解放は、構造の変革である。つまり、解放とは、望ましくない構造を望ましい構造に置き換えること。

Unlike human beings, social structures are not intentional. However, they cannot be regarded as belonging to the natural sphere, since they are social products and dependent upon human action for their existence. And it is social structures that lay down the conditions for what we can do and not do by placing us in various social situations. That is why a socially emancipatory objective should be directed against structures. Emancipation here involves replacing undesired social structures with desired ones. And even in this context there are false beliefs to be considered. (p.193)

さらに、構造とメカニズムを同定するための知識モデルそのものに、解放的目標が含まれている。なぜなら、社会構造・メカニズムを説明するという営みには、その構造・メカニズムの変革可能性に対する言明が含まれるから。

Conclusion

本章のまとめ

  • 社会科学者が実務家に提供すべきなのは、処方箋ではなく理論
  • 社会現象を説明することに、社会現象への批判が含まれる