こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

国語講師の上村湊さん、採点基準を公表して下さい。

国語講師の上村湊さんに、拙記事を(頼んでもいないのにわざわざ私のツイートをリツイートしたうえで)添削して頂きました。 

僕が作った論述国語のルーブリックで採点すると「論旨に一貫性がない」で大幅減点されるやつだな… https://twitter.com/minato_uemura/status/1321448631694553089

上記のツイートを目にしたので、減点ポイントおよび改善案について問い合わせをしました。 最初は返信していただけましたが、その後パタリと返事が止まってしまいました 1

 

詳しい流れは以下にまとめました。

togetter.com


この件、その後、いかがでしょうか? アマチュアに突然質問をぶつけるのは過剰な要求でしょうが、上村さんは論述国語の専門家ということですし、既に自作ルーブリックで評価を下しているわけですので、面倒な問い合わせでもないように思います(すでに「採点済み」のものを説明するだけなので)。 つきましては、「論旨に一貫性がない」部分について、ご教示いだけないでしょうか。

突然他人の文章を「採点」し、その後、問い合わせに応じないというルーブリックは、申し訳ないですが、たいへん怪しい代物のように感じてしまいます。

私自身、突然、論理国語の専門家の方に、公共の場で「大幅減点」という採点を頂きまして、深く傷つき、苦しい日々を送っております。

「私の反論に答えよ」という要求ではございません。採点基準を教えてほしいという要求でございます。

どうか、ご回答をよろしくお願い致します。 上村先生のお知り合いの先生も、どうか上村先生に本件についてご連絡していただけるとありがたいです。


  1. FF外からの通知を切っているとのことですが、最初は(FF外だったにもかかわらず)返信をいただけたので、まったく通知を見ていないわけでもないように想像します。

いただきもの『大学入試がわかる本』(岩波書店)

岩波書店編集部の田中さんより、ご恵投いただきました。 大学入試制度および近年の改革のまさしく全体像がわかる好著です。「本流」の制度に関する改革論議だけでなく、周辺的な諸制度(いわゆる各種入試)にも大いに目配りされています。勉強させていただきます。

『現代思想』2020年9月号に寄稿しました

本日発売の青土社現代思想』2020年9月号(特集=統計学/データサイエンス)に、

と題した文章を寄稿しました。

ニューズウィーク日本版に寄稿しました

ニューズウィーク日本版2020年9月1日号に寄稿しました

英語教育政策研究の理論と方法(その3、完結)

いま書いている論文(非査読)の下書きを貼っていきます。

ログはこちら


3. ありえるべき方向性

3.1. 先行研究の批判的検討からの示唆

前節の3つの項(2.1, 2.2, 2.3)で指摘した問題から、理想的な政策過程の記述的分析に求められるものとして、次の3点が指摘できる。すなわち、 (1) アクター間・要因間の階層性を考慮した枠組み、 (2) 目立ちやすいアウトプットの文書(例、学習指導要領、答申、審議まとめ)だけではなく、審議過程・政策過程の詳細な検討、そして、 (3) マクロな要因に過度に頼らず、適切なレベルの理論の検討である。

この点を踏まえたうえで、政策研究の全体的な見取り図を描いたものが、図NNNである。

【図NNN 】 f:id:TerasawaT:20200728143138j:plain

この図の上下は、各要因の階層性を表している。 よりミクロな要因を上側に、よりマクロな要因を下側に配置されている。 また、左から右に伸びる矢印は、全体的な時間の流れを表している。 矢印の途中にある丸印(●)は、一連の流れの中で生じたイベントを表している。

矢印および丸印の色の濃淡は、各要因・各イベントがどれだけ顕在的かを示している。 色が濃いほど目立ちやすいものであり、薄いほど具体的な観察が困難なものである。 たとえば、学習指導要領告示は、具体的な文書に基づくため、きわめて顕在的である。 一方、イデオロギーや世論は、具体的に観察できるわけではないので、顕在度合いはかなり低い(世論調査が行われた場合は例外的に世論の動向が観察可能であるが、英語教育関連の項目を含む世論調査はごくまれである)。 その中間に位置するのが、告示等に至るまでの政府内審議である。議事録等の客観的資料が存在することも多いが、具体的な動きは外から見えづらいため、顕在度合いは中程度である。

この図の示唆は、英語教育政策研究において、真に学術的貢献度が高いのは、相対的に色が薄い部分(=顕在度合いが高くない部分)の研究であるという点である。 学習指導要領や中教審答申はきわめて顕在的であるがゆえに既に研究され尽くしており、その上、2節で指摘したような問題(政府にとって都合の良い説明に偏っている)を伴うからである。 また、英語教育に緩やかに関連する重大事件(例、文科大臣の失言、国際スポーツ大会)も、非常に目立つ(そして、英文メディアに掲載されやすい)割りには、その実質的な影響力はわかりづらい。 影響を明らかにするためには、事件がその後にどのような経過をとったかを詳細に検証する必要がある。やはり、過程の検討が求められるのである。

3.2. 研究アプローチ

以上の議論を踏まえて、具体的な研究方針の例を示したい。

3.2.1. 審議過程の分析

第一が、審議過程の分析(狭義の政策過程分析)である。次に述べる広義の政策過程分析に比べ、検討するタイムスパンは比較的短い(たとえば、数ヶ月~数年単位)。 決定結果だけの公示文書だけに大きなウェイトを割いてきた先行研究とは違い、むしろその文書の各論点が(場合によっては文言が)どのような経緯で確定したかを検討する。 代表的な研究手法として、会議録・議事録の内容分析、そして、関係者へのインタビューが指摘できる。

3.2.2. 政策史

第二が、政策史的研究(広義の政策過程分析)である。 対象とするタイムスパンは比較的長く、十年前後~数十年に及ぶ。

ある時点からある時点までの政策の流れを歴史的に跡づける研究であるが、個々の施策・イベントをただ羅列するだけでは過程の研究とは呼べない。 各施策・各イベントを結びつけた歴史的なダイナミズムを見出す必要がある。 かといって、その過程を説明するために、時代のイデオロギーのようなマクロな要因に依存するのでは、2.3節で指摘したとおり、有意義な分析は期待できない。 時代に通底するマクロな要因と当該政策固有の要因、そして英語教育領域の特有の要因の相互作用を解明することこそが重要である。

3.2.3. 政策過程や教育行政機能に固有の理論・要因

第三に、マクロ要因や大理論だけに頼らず、メゾレベルの要因・理論を参照することが必要である。 国内外の言語政策研究では、依然として、グローバル化新自由主義・(ダブル)モノリンガリズム・英語帝国主義といった射程がきわめて広い理論が重宝されているが、2.3節で述べたとおり、個々の現象を分析するには、曖昧であり、また、普遍性が高すぎるゆえに説明力が低い。 したがって、個々の現象と上述の大理論を接続する理論が必要である。 ここで、大いに参考になるのが、政策過程研究で提唱されている多くのメゾレベルの理論である(岩崎, 2012)。1

代表的な例として、政策借用 (policy borrowing) という理論枠組みを指摘したい(Burdett & O’Donnell, 2016)。 政策借用は、他国・他自治体・他機関が先駆的に導入した施策を、自分の国・自治体・機関に移植することである。 要するに「他所の成功事例を真似る」ことであり、こうした営みは以前から行われてきたものだが、近年の教育改革ではその動向がより顕著になっている。 グローバル化(とくに高等教育のグローバル化)の進展により、他国の先進的事例がより見えやすくなり、また、学生(留学生)の獲得競争が激しくなることで、他国の事例を模倣した教育改革を行うインセンティブが高まっている。 同時に、新自由主義的な改革圧力は、教育におけるパフォーマンスのいっそうの向上を要求しているが、同時に、財政的制約により、ゼロから作り上げるような抜本的な改革に着手できない。この結果、他所の先行事例が好んで参照される。

なお、政策借用という理論的枠組は、英語教育政策の研究でもしばしば利用されている。 その代表例が、英語教育の早期化のグローバルトレンドを分析しているのが、Enever (2017) である。 Enever によれば、多くの国が英語教育の早期化に舵を切ったのは、早期化そのものの合理性(例、早くから始めたほうが英語ができるようになる)というよりは、政策借用(例、「隣国もやっているから我が国も」)の結果だという。

ところで、政策借用は他のマクロ要因とも密接に連動している。 上の説明で言えば、政策借用が従属変数、グローバル化新自由主義は独立変数である。 また、具体的な分析の次元では、個々の政策・政策過程が従属変数、政策借用が独立変数となる。 つまり、「グローバル化新自由主義→政策借用→個々の政策」というモデルである。 この例が示すように、グローバル化新自由主義というマクロ理論は依然として重要であるが、個々の政策過程を分析するうえで、それよりも抽象性が低い理論――ここでは政策借用――が必要となる。

ただし、政策借用という理論自体も比較的抽象性が高い。 したがって、それと個々の政策を接続するには、分析対象が属するドメインの固有の要因も考慮する必要がある。 たとえば、日本政府の教育政策であれば、政府の教育行政機能に関する説明体系(文科省や官邸の教育政策会議の仕組み、文科官僚等の構成、教育委員会との関係など)を踏まえる必要がある。 以上を再度図式化すると、「マクロ理論 → メゾレベルの理論 → 個々の教育行政機能 → 個々の政策過程」となる。

3.2.4. 複数・多数事例の分析

以上の議論は、特定の審議過程・政策過程の検討を前提にしていた。 したがって、方法論として、史料分析、議事録等の質的内容分析、インタビューなどの質的分析が中心であった。

一方で、多数の事例を検討することによっても、審議過程・政策過程のメカニズムを明らかにすることは可能である。 この場合、特定の政策過程の特徴を詳細に明らかにすることが目的ではなく、複数あるいは多数の政策過程の一般的特徴を解明することが目的である。 なお、観察する事例が比較的少ない場合(たとえば3, 4件から10件弱)は典型的な比較研究と呼べるが、観察数が豊富にある場合(たとえば数十件以上)は計量分析の手法が利用できる。 また、その中間程度の場合、質的比較分析(Qualitative Comparative Analysis)が使用できる。 方法論の詳細については、Paul et al. (2006) や齋藤 (2017) を参照されたい。

必ずしも政策過程の分析に特化しているわけではないが、事例数の多い英語教育政策研究として、 Nunan (2003), Baldauf et al. (2011), Rixon (2013), Enever (2017) などが指摘できる。 Nunan はインタビュー研究、Baldauf et al. と Enever は事例分析の統合、Rixon は質問紙調査による国際比較研究である。 この種の研究で多いのは国際比較であるが、理論上は、あらゆる多事例比較が可能である。 たとえば、地方政府を単位とする比較分析や、学校を単位とする比較分析(各学校を政策実施の「出先機関」と見なす場合)も可能である。

4. 結論

文献


(完結)


  1. 政策過程理論の有用性は疑いないが、英語教育政策研究の主たる目標はあくまで個々の事例を適切に説明することである。一方、特定の理論の切れ味を披露するかのように、「理論が先、事例が後」で分析するのは本末転倒である。むしろ、眼前にある事例が、多数の選択肢のうちのどの理論で最も上手く説明できるか慎重に考慮した分析(「事例が先、理論が後」)が必要である。

寺沢ゼミ4回生春学期 報告した文献リスト

寺沢ゼミ4回生春学期の記録です。

手続きは以下。

  • 自分のテーマにあった文献をCiNiiなどを使って探す
  • いくつか候補を報告する
  • 授業担当者(=私)からOKが出たら精読する(却下されたら探し直し)
  • 概要をまとめて報告する。

書誌情報は、学生の報告にもとづいています。間違っていたらすみません。

5月22日

5月29日

6月5日

6月12日

6月19日

6月26日

英語教育政策研究の理論と方法(その2)

いま書いている論文(非査読)の下書きを貼っていきます。

ログはこちら


2. 問題点

本節では、過程の記述的研究の問題点を検討する。

先行研究の問題点を一言で言えば、政策過程を説明するために利用された根拠(事例・史資料・データ)に偏りが見られる点である。 具体的には、先行研究で選択的に取り上げられやすいのが、政策の最終的なアウトプットとなる文書、および、その遠因となるマクロな社会経済的要因のみであり、一方で、その両極端を接続し得る審議経過・政策形成過程への注目はほとんどない。

この注目の偏りの背後には、日本の(英語教育)政策過程に対する理解不足(過度に単純化された理解)があると思われる。 これらを大別すると、階層性という理解の欠如、政策文書の性質に対する理解の欠如、および、マクロな要因の説明力に対する理解の欠如という3点が指摘できる。 以下、順番に説明していこう。

2.1. 要因間の階層性

第一に、先行研究は、政策に影響を与える要因が複数あることは認めているが、それらの間の階層性への自覚は乏しい。

もっとも、政策形成に様々な要因が複雑に介在することを指摘する研究がほとんどだが(むしろ、単純であるならわざわざ研究する必要がない以上、複雑さを指摘することこそが学術的意義と見なされていると言ったほうが正確だろう)、様々な要因を並列した説明が中心であり、各要因間に階層性・影響関係を仮定するものはほとんどない。

しかしながら、政策過程には明確に階層性が存在する。 一般論として言っても、通常、政策の最終的決定は政府(中央政府・地方政府)が、その原案づくりは政府内の特定部局が行っている。 つまり、政策の具体化において、マクロな社会経済的要因(例、グローバル化、世論、財界の要求)よりも、政府内の動きがより直接的な影響を持つことは明らかである。

公共政策一般に比しても、日本の学校英語教育に関する政策はその傾向がさらに強いと考えられる。 初等中等教育の英語教育課程に関するものの多くは、国会審議を必要としないため(学習指導要領がその典型である)、より直接的な役割を果たすのは文部科学省(の特定の部局、とくに初等中等教育局)だからである。

以上の議論を図示したのが、図NNNである。

f:id:TerasawaT:20200614124912j:plain
図NNN 並列型と階層型

図の左側が、各要因を並列的に配置した、先行研究によく見られる説明図式である。 代表例が、小学校外国語活動(2008年の学習指導要領改訂で導入決定、2011年度より正式に開始)を後押しした要因を分析した Butler (2007) である。 小学校英語政策の文脈で非常に頻繁に引用される論文であり、実際、指摘されている諸要因(グローバル化、財界の要求、世論等)はいずれも説得力があるが、要因間の関係については分析されておらず、結局のところどのようなプロセスで外国語活動が構想されたのか、もっと言えば、どの要因が最も重要だったのかは不明である。

一方、図の右側が、要因間に階層性を仮定したモデルである。 前述の外国語活動の例でいえば、Butler (2007) が指摘した要因のいずれもが英語教育の早期化の推進に重要だったことは疑いないが、それが他でもなく外国語活動の導入である必然性はなかった。 したがって、様々なアクターから発せられた抽象的な早期化要求を、外国語活動導入という具体的プランに読み替える力学が働いていたわけである。 ここで重要なイニシアチブを発揮しのが、寺沢 (2019) が明らかにしたとおり、文科省初等中等教育局であった。

外国語活動の事例以外にも、図中の「文科省特定部局」と「特定の政策」をつなぐ矢印は非常に重要である。 英語教育政策研究における最も重要な分析対象(少なくともそののひとつ)と言ってよい。 しかしながら、先行研究ではこの矢印に関する研究は驚くほど少ないのが実情である (日本を対象にしたものだけでなく、他の非英語圏――東アジア各国、ヨーロッパなど――に関する英語教育政策研究でも同様のようである)。

2.2. 政策文書の性格

第二に、政府側の説明を真に受けてしまったために、政策形成にとって真に重要な要因の選定に失敗するという問題である。

先行研究では、重要要因の候補を選ぶ際、アウトプットとなる政策文書に依存する傾向がある。 アウトプットとは、たとえば中央教育審議会の答申や学習指導要領解説のことで、たしかにこの種の文書は、当該英語プログラムを政府が導入することに決めたのはなぜか、あるいは、このような一連の英語教育改革が求められたのはなぜかなど、経緯について必ず述べている。

しかしながら、これらは中立的・客観的な経緯説明では全くない(寺沢, 2019)。 アウトプットとなる政策文書は、眼前の政策をいかに正当化するかが最優先事項であるため、そのために都合がよい「これまでの経緯」は積極的に取り上げる一方で、都合が悪い「これまでの経緯」については言及を避ける傾向がある。 つまり、この種の政策文書では、構造的に、チェリーピッキングが起きやすい。

別の問題として、アウトプットとなる政策文書の多くが、前述の図NNNの左側のような構図で経緯を説明する点も指摘できる。 たとえば、中央教育審議会は2016年12月に小学校英語の早期化・教科化を答申したが、その根拠として、これまでの外国語活動実践、グローバル化、諸外国の動向など様々な点を踏まえたと記載しているのみであり、どれが最も重要だったのかという価値判断を避けている。 しかしながら、江利川 (2018) が明らかにしたとおり、教科化の最も重要かつ直接的な契機は、第二次安倍内閣における2013年6月の閣議決定、および、その前段をなす内閣の教育再生実行会議における検討である。 答申やその後の学習指導要領解説には、この「真の要因」への言及はなく、責任の所在がきわめて曖昧になっている。

政府見解の再生産

こうした文書に大きく依存して分析すると、政府にとって都合のよい説明の再生産に成り下がりかねないが、先行研究はまさにこのような陥穽にはまっているものが散見される。 その典型が、日本語が読めない(と思われる)研究者による政策分析である1。 近年、学習指導要領は英訳版がウェブ上に掲載されることが多く、また、答申やその他の重要な政府発表は英文メディア( The Japan Times, The Japan News など)による報道もあるため、日本語ができない研究者でもアクセス可能になりつつある。 一方、アウトプットに至る前に行われる様々な審議は、日本語で行われており、議事録も日本語である2

たとえば、Ng (2016) は、2013年12月に発表された「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」の英訳版 (https://www.mext.go.jp/en/news/topics/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/01/23/1343591_1.pdf) に基づいて、グローバル化東京オリンピック小学校英語の早期化・教科化を後押ししたと記述しているが(p. 219-220)、前述の江利川 (2018) の指摘のように、官邸主導の政策過程には一切言及がない。 2013-14年頃の官邸主導の政策過程は、議事録や報告書がある場合でも、ほとんどが日本語のみで記述されているため、英語資料に依存した研究には限界があるだろう。

2.3. マクロな要因による大雑把な説明図式

第3に、マクロな社会経済的要因ばかりに注視するのは、実証性の面で問題がある。 先行研究で指摘されたマクロ要因は、たとえば、グローバルビジネスの発展、国際語としての英語の重要性、日本人の英語力不足への不満感、これまでの(非能率な)英語教育や「受験英語」への不満感、英語教育改革に期待する世論、ネイティブスピーカー信仰、欧米への憧れなどである。

こうした要因は、たしかに直感的には重要な要因ではあるが、 政策過程(具体的には中教審等での審議過程)の説明に使うならまだしも、政策のアウトプットに直接影響を与えたかのように扱う(図NNNの左図)のは、実証性の点で問題がある。

概念の曖昧さ

ひとつは、マクロ要因は概して抽象概念であり、そのため往々にして概念規定も曖昧になりがちである点である。 その結果、定義次第で、「影響を及ぼした」とも「及ぼさなかった」とも言えてしまう。

たとえば、「世論の要望」や「財界の要望」といった要因が小学校英語を後押ししたとされるが、その「要望」の中身次第では、後押ししたともしなかったとも結論付けられてしまう。 というのも、2011年に正式に始まった「外国語活動」の目標・活動内容は、世論や財界が望んでいたものから大きくずれていたからである(寺沢 2020: pp.136-7)。 つまり、「要望」を「とにかく小学校で英語を始めること」と緩やかに定義するのなら「影響あり」と結論付けられるし、「外国語活動の導入」と定義すれば明らかに影響はなかったことになる。 このように、概念規定が緩いと実証性は下がる。

高すぎる説明力

問題点のもうひとつが、マクロ要因による説明はしばしばあまりに強力であるため、説明モデルとして役に立たない点である。

典型例が「グローバル化」という説明である。 なるほど、英語教育政策は大いにグローバル化から影響を受けてきたが、そもそも近年その影響を免れてた社会現象など存在しないわけで、「グローバル化→英語教育改革」という説明は実質的に何も説明していないことになる (とはいえ、たとえば、2003年の「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」でも、学習指導要領の解説(たとえば、2008年改訂および2017年改訂の小学校学習指導要領の『解説(外国語活動編・外国語編)』)にも、まさにこの「無意味な」説明が述べられているが)。

以上のように、マクロな社会経済的要因による説明は、明確に概念規定をしない限り、実証性を毀損する。 しかしながら、少々やっかいなことに、マクロな要因には普遍性の高い理論的概念が多く(例、グローバル化、国際英語論、ネイティブスピーカー信仰、欧米志向など)、この種の説明図式を使うと(説明の妥当性は度外視しても)、普遍志向の研究者と対話可能性が向上するので、とくに国際誌・国際学術的コミュニティでは評価されやすい。 実証性(説明の正確さ)と国際的評価は、ある程度独立していると認識すべきだろう。


(つづく)


  1. 公平のために言えば、同様の問題は、日本語が読める研究者にも見られる。答申や学習指導要領のような目立ちやすい文書ばかりに目を奪われ、そこに書かれた「政府の建て前」を批判的に読み解けないと、「政府にとって都合の良い説明」に過ぎないものを「経緯の客観的な描写」に誤認するという陥穽にはまってしまう。

  2. 近年、議事録の多くがウェブ上にアップロードされつつあり、機械翻訳などの有効利用も考えられるが、原文自体に文脈依存的な表現も多く、日本社会に関する知識がないと理解できない議論も多いだろう。そもそも、議事録がウェブ上にない場合、行政文書開示請求などを利用して入手するのは、日本語に不慣れな研究者にはかなりハードルが高いと思われる。