江利川春雄著『近代日本の英語科教育史』(東信堂、2006)、p.333 より。各学校別の外国語科(ほとんどが英語科)の履修人口の表があるが、これを図にした。
若干補足しておくと、戦前の学校制度において、英語を履修するかどうかは学校種別に大きく左右されていた。英語教育の中心は旧制中学・旧制高等女子・旧制高校・旧制大学であり、いわゆる「エリートコース」だった。こうしたわけで「戦前の外国語教育」とおおざっぱに言われるとき、そのイメージはほとんどの場合、このエリートコースを前提にしていたのである。この図は、学習者人口という観点から見たとき、このイメージがいかに偏ったものかを示しているだろう*1。エリートコース以外の学校の英語学習者が、英語学習者全体に占める割合は、大正期でおよそ4割、戦時中で5割超であり、1942年度には「中学+高女」の総履修者数を追い抜いている。これほどの生徒が、英語を正規の学校科目として*2学んでいたのである。