こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

政治経済と英語(Ricento, 2015)


Ricento, Thomas. 2015. Chapter 1: Political Economy and English as a "Global" Language. In Thomas Ricento (ed.) Language Policy and Political Economy: English in a Global Context. Oxford University Press.

1. Introduction
2. The case of English as a "global" language
2.1. Position 1: Linguistic imperialism
2.2. Position 2: A vehicle for social and economic mobility
2.3. Position 3: For global demos
3. Liberalism and the role of states in protecting language minority groups' rights
4. Globalization and English
5. Neoliberalism and work
6. The overall picture with regard to language rights, language policy

グローバル言語としての英語に対するよくある見方として3つの立場をあげている。

  1. 言語帝国主義(e.g. Robert Phillipson)
  2. 社会経済的上昇の鍵(e.g. Janina Brutt-Griffler)
  3. グローバル民主主義/グローバル正義のためのメディア(e.g. Philippe Van Parijs)

著者は、上の3つの立場はすべて「グローバル言語=英語」に対する一面的な見方だという結論で、わりとストローマン論法っぽく感じるんだが、まあそれはそうだろう。
たとえば、2番目の「英語=社会経済的上昇の鍵」と単純に結論付けるのは、個人レベルの上昇と集団レベルの上昇を混同している議論だと言っている。また、3番目のように英語を「民主主義のためのメディア」と無前提に持ち上げるのは、英語圏というフリーライダーをゆるす上でアンフェアだし、あと、現状のネオリベラリズムの悪影響を考慮していない点で楽観的に過ぎる、あと、言語を単純に道具と同一視する考え方はナイーブすぎると手厳しい。ところで、著者はこの論文集の編者であり、ここでdisられているParijsは10章の執筆者なので、これは仲良し同士の「プロレス」なのか、それとも擦り合わせが間に合わなかったからなのか何なのか・・・。

3節は現代リベラリズムdis(ここもちょっとストローマンの感あり)、4節・5節は現在の世界の言語状況を政治経済的な側面から論じている。普通。

6節で、それぞれの英語観(たとえば、2節で紹介したもの)には単体では不十分なところがありすぎる、これらを統合的に説明する理論が必要だ、それは political economy を主軸にした理論だというオチ(この本のコアのメッセージ)で締める。


関係ないけど、発売直後にハードカバーを1万数千円で買ったこの本、昨年はじめに数千円のソフトカバーが出ていたのを知る。つい最近まで積読していたので、一万円相当の高級文鎮として機能した。

Language Policy and Political Economy: English in a Global Context

Language Policy and Political Economy: English in a Global Context