「大学入試の出題内容を学習指導要領に準拠させるべきだ」という主張をしばしば聞く。
これはトンデモの人だけでなく、きちんとした英語教育研究者(とりわけテスティング研究者)研究者も言っているので、ストローマンを叩いているわけではない為念。むしろ、個別の命題としては(=内的には)一貫した説得力を持つため、真剣に取り扱う必要があるだろう。
- 作者: 根岸雅史
- 出版社/メーカー: 三省堂
- 発売日: 2017/07/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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一方で、指導要領のコンテクストまで視野に入れると、深刻な矛盾が目につく。指導要領に依拠するのが望ましいとして、ではなぜ指導要領の言語的側面だけに限定し、非言語的側面にまで拡張しないのか、という点。
学習指導要領では、国際理解・文化理解・コミュニケーションへの態度育成についてそれ相応のウェイトを置いて強調している。なぜ私達は(言語だけに焦点化して)こういう側面の学習には準拠しないのか。もっと言うと、異文化理解を大事にしている英語教育者ですら異文化理解を測定しなくても平気に見えるのはなぜか。教育目的と測定の矛盾を(哲学の素養のある人は)真剣に考えるべきだと思う。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/old-cs/1322544.htm
これを「揚げ足とっている」と思う人もいるかもしれないし、実際いるだろう。大変心外である。揚げ足とりどころかもはや矛盾含みでひっくり返って寝ている状態。見て見ぬふりしかできない人や、矛盾なわけないだろ!と吹き上がる残念な人は仕方ないが、哲学の素養のある人は(しつこい)真剣に考えるべきである。場当たり的な「指導要領に準拠」論では後々原理がガタガタになってしまう。
「入試は学習指導要領に準拠すべし」と「学習指導要領に書かれている目標のうち、異文化理解関連のものは入試に課さなくて良い」は明らかにダブルスタンダードである。
P と Q がダブルスタンダードのとき、原理的に解決するには次の3つの選択肢しかない。―― (1) Pを捨てる、(2) Qを捨てる、(3) PとQの両立する補助理論を入れる。
これを、今回の問題でパラフレーズすると次の通り。
- 入試は学習指導要領に準拠すべしという議論は、ダブスタなので破棄する
- 指導要領から、国際理解・文化・態度の育成という目標記述を除外する
- 「入試は言語面だけに準拠してOK」という主張を、ダブスタが回避できるように修正する(補助理論を入れる)
あくまで、これは原理的な話である。この文脈が理解できず、「こんなのはナンセンスだよ、だって現実的にこうなってるじゃん」と言う人がいるかもしれないが、それは結局、上記の3の補助理論の話をしているに過ぎない。
補助理論だという自覚がないまま、補助理論を語るのは避けたい。たとえ結論が同じ「3.」だったとしても、補助理論に対する自覚があるとないとでは大きな差である。