こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

大谷泰照氏による拙著への批判に反論する

先日、大阪大学名誉教授の大谷泰照氏が『日本の異言語教育の論点』(東信堂、2020)を出版した。そのなかで、拙著に対する批判が述べられているので応答したい。

私の反論の詳細は、拙著を読んでいない人にはあまり意味がないものかもしれない。 一方で、この論点は歴史研究に関する一般的な示唆も含んでおり、英語教育史研究を志す人にも得るものがあると思われる。 応答は以下の ① で行うが、そちらに興味がない人は、一般的な示唆である ② に飛んでほしい。




① 大谷氏の批判と、私からの応答

「戦後初期=親英語」という評価をめぐって

以下、まず大谷氏の批判を紹介する(同書144~146頁)。

[終戦直後に戦中の鬼畜米英から一転して英語礼賛に変わったという]日本人のこのような急激な変貌ぶりは、今日のわれわれには信じ難いものであるだけに、むしろ時代が下るにつれて戦中・戦後の歴史的事実を完全に忘れたかのような発言が目につくようになった。たとえば以下のような発言は、今日ではほとんど疑われることもなく、そのまま受け入れられるようになった。

戦後初期、英語(および占領者=米国)に対する拒否反応は日本社会の至る所に渦巻いていたわけで、「一億総英語会話」はレトリックだとしても乱暴すぎる・・・ ―寺沢拓敬『「日本人と英語」の社会学』研究社、平成27年

 このような論者からみると、「一億総英語会話」などは当時にはあり得なかったことで、後世の人間が勝手にでっち上げた単なる乱暴すぎるレトリックと映るらしい。

要するに、論点は、戦時中は「反英語」だった日本人の態度が終戦を境に「親英語」に大転換したかどうかである。 大谷氏は、親英語・反英語の40年周期説を提唱しており、明らかに「親英語」支持派である。 一方で、私は、上記の引用からはわかりづらいが、「必ずしも親英語とは言えない」派である。

大谷氏の批判は次のように続く。

しかし、戦中初期は「一億一心、火の玉だ」、戦中後期に至ると「今こそ一億総特攻」、そしてついには「一億総玉砕」を全国民の対英米戦貫徹のスローガンとして大合唱していた日本人である。その同じ日本人が、いったん戦争に敗れると、とたんに「火の玉」や「特攻」や「玉砕」の決意などはどこへやら。ほとんど何のためらいもなく旧敵国語の英語の習得に狂奔する。こんな劇的なまでの「変節ぶり」の経緯を少し調べれば、「一億総英語会話」はでっち上げのレトリックどころか、日本人が自らのそんな無節操な姿を多分に自虐的に評した当時の実際の流行語であったことは容易に理解できるはずである。

…中略…

「英語に対する拒否反応は日本社会の至る所に渦巻いていた」という断定もまた、その激動の時代を実際に体験した世代からみればあまりにも事実とかけ離れた暴論であることに驚かされる。

…中略(終戦直後の劣悪な状況にもかかわらず、英会話本がベストセラーになったという話が20行ほど続く)…

敗戦直後のあの時代に、日本人の英語に対する関心がいかに異常なものであったかがはっきりする。このような事実を無視して、はたして本当に「英語に対する拒否反応は日本社会の至る所に渦巻いていた」などと言いきれるのか。戦後の厳しい時代を実際に体験したわれわれ世代には、とうてい考えられもしない史実を無視した乱暴な発言であると言わざるを得ない。

要するに、終戦直後には、熱狂的な英語ブームを伝えるエピソードがこれだけあったのだから、「一億総英語会話」と主張してもよいし、そもそも、英語に対する拒否反応が遍在していたはずがない、という主張である。

「一億総英語会話は乱暴」の出所

拙著の文言が発端なので、拙著の実際の文章を以下に引用しよう。

戦後初期、英語(および占領者=米国)に対する拒否反応は日本社会の至る所に渦巻いていたわけで、「一億総英語会話」はレトリックだとしても乱暴過ぎるが( cf. 寺沢 2014a: 序章)、その点は今は問わない。

私は、「乱暴過ぎる」という批判に続けて、「cf. 寺沢 2014a: 序章」と参考情報を載せている。 これは、私が前年に出版した『「なんで英語やるの?」の戦後史』である。 同書で、なぜそのレトリックが乱暴と言えるかを詳細に論じている。 「英語への拒否反応」論を論駁し、「一億総英語会話」論を擁護するのであれば、こちらに検討を加えたうえで行うのがフェアだと思う。 実際、引用元の『「日本人と英語」の社会学』は現代日本人の状況を統計的に分析した本である。戦後初期の英語観を批判的に検討する紙幅がなかったからこそ、典拠を載せた上で、「その点は今は問わない」と記したのである。

戦後初期の「拒否反応=反英語」の事例

では、『「なんで英語やるの?」の戦後史』ではどのような根拠をあげていたか。

該当部分を引用しよう(同書9~10頁)。

まず、問題にすべきは、戦後初期から 20 年弱を「親英」期と大谷が評価している点である。たしかに、大谷が依拠している英語教育界の「大事件」―『日米会話手帳』に代表される終戦直後の英語ブームや義務教育への英語教育導入―から見れば、このような傾向は取り出せるかもしれない。しかしながら、英語教育内部の小中規模の事例や英語教育外部の事例に注目すると、「親英」の反証は数多く見つかるのである。まず、英語教育内部でも、この時期に「反英」的な特徴はかなり見つかる。前節で触れたとおり、英語学習が無視ないしは敵視されていたことは、戦後初期の農村での実践記録(禰津 1950)や、1950 年代後半の日教組教研集会(外国語教育分科会)の記録にも確認できる(相澤 2005)。というよりも、当時の英語教師の声を総合的に検討した本書第 7 章の分析によれば、戦後初期から 1950 年代は、英語学習に対する疑念が(農村地域を筆頭に)きわめて強かった時代である。

一方、当時の英語教育外の事例を見ても、「戦後初期=親英」説への反例は多数見つかる。たとえば、戦後初期には、「解放者=米国」に対する親米感情と表裏一体の形で、「占領者=米国」に対する反米感情が日本社会に底流していた(cf. 小熊 2002: 273-80; 吉見 2007)。本土占領が終了した 1952 年の流行語に「ヤンキー・ゴー・ホーム」があったことがそれを物語っている。大谷は、「敗戦の一夜を境にして『一億総英語会話』に急変した」(大谷 2007: 90)と述べているが、上記の事例が示すとおり、米国の豊かさへの憧憬を背景とした英語ブームが、すべての「国民」にためらいもなく受け入れられたと考えるのはかなり困難であり、「一億総英語会話」のような記述はレトリックだとしても乱暴に過ぎるだろう。

以上を要約すると、私は、「反英語」的な事例として、以下の2点を指摘している。

  • (1) 特に農村における、生徒や保護者の英語に対する無関心
  • (2) 占領者の象徴であり、かつ、しばしば横暴を働いていた米軍への敵意・反米感情

重要な点が、大谷氏の指摘する「鬼畜米英」的な反米感情とは質が違うことである。

上記 (1) は、英語に対する文化的な意識格差を問題にしており、戦時下特有の反米感情とは異質である。 実際、戦前においても、教育レベルの高くない大部分の層は、英語・外国語に対し(敵意を抱く以前に)無関心であった。 英語教育が国民レベルで浸透していなかったのだから当然である。 こうした人々の冷めた態度が、終戦を契機に過熱化するとは考えにくい。 実際、戦後初期の実践記録には、人々の無関心さを示す証拠が多数残っている。そもそもこの論点は、他でもなく『「なんで英語やるの?」の戦後史』の中心的テーマである(特に第7章)。

上記 (2) は、占領者への敵意であり、ということは、占領軍との接触頻度に左右されるので、この「反英語」的態度にはおのずと地域差・階層差が反映される。 その点で、戦時における敵国への悪感情とはやはり質が異なる。 戦後初期の反米感情の存在は、戦後史研究・社会史研究に多数の蓄積があり、この点をあからさまに否定する研究者はほとんどいないと思われる。 上記でも引用している吉見俊哉(2007)『親米と反米』(岩波新書)や小熊英二(2002)『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)は、戦後初期の反米意識を詳細に検討している最重要文献である。

② 論証における「史実」の扱い方

冒頭で述べたとおり、以上の論点には、歴史研究(とりわけ史実を利用した社会科学的分析)における論証のあり方はいかなるものかという示唆が含まれている。以下、方法論的な面を中心に議論する。

史実のチェリーピッキングという問題

大谷氏の論証方法には大きな問題があるが、それは、自説を支持する証拠(例、『日米会話手帳』、新制中学校への英語科導入)の列挙に終始するため、史実のチェリーピッキングを誘発しかねないという点である。

歴史は1分1秒毎につくられているわけで、「史実」は無限に存在する。自説を支持する証拠ばかりを恣意的に集めることはやろうと思えばできる。自説に都合が良い細かなエピソードをどんどん掘り起こしていけばよいからだ。 したがって、史実の取捨選択に何らかの制約を課さない限り、ある説を実証も否定もできてしまうという困った論証方法である。

反例と思われるものを反証する

史実のチェリーピッキングを避け、より妥当性の高い論証を行う方法として、大雑把に言って次のようなものがある

  1. 全数調査型:事例をすべて収集し、自説のあてはまりを評価する
  2. 標本抽出型:理論的に妥当性のある収集基準をあらかじめ宣言し、その基準にそった事例をピックアップする。そのうえで、自説のあてはまりを評価する
  3. 反例棄却型:反例がないことを確認する。自説と対立しそうな事例を収集し、それが実際には反例にはならないことを示す。

3番目は、犯罪捜査でいうところの「アリバイ崩し」である。 ある殺人事件でXという人が捜査線上にあがってきたとき、「Xには動機がある」とか「凶器の鈍器にXの指紋があった」とか「殺害時刻にXに似た人物が目撃された」というように「X=真犯人説」を支持する証拠だけを積み重ねるだけでは不十分である。 「Xには犯行時刻にアリバイがあった」という都合の悪い「事実」を崩してこそ、妥当な推論となる。

「親英語・反英語」のように、事例に輪郭がないもの1を論証するうえで、上記の1 と 2 はなかなか難しいが、この「アリバイ崩し」型は実現可能性が高い。

「戦後初期=親英語」説の反例となるような事例――すなわち、反英語のように見える事例――を「仮想敵」として、それが実は反英語的ではなかったとか、反英語だったとしても周辺的な事例だったということを示せばよい。 こういう論証方法を使うことで、チェリーピッキングが避けられ、より妥当性の高い推論が可能となる。

しかしながら、上記で批判したとおり、大谷氏の論証には、「一見反例と思われる事例を反駁する」という手続きがない。 戦後初期は(少なくとも一部では)反米意識が強かったという先行研究が多数あるのだから、それを反駁する作業は必要であろう。 私の主張に対し、「いやいや、親英語の事例としてこんなのもある、あんなのもある」と自説に都合がよい史実の列挙をしているだけでは、有効な反論とは言えないし、妥当性のある論証とも言い難い。

この点は、保城広至著『歴史から理論を創造する方法: 社会科学と歴史学を統合する』(勁草書房)に詳しい。

③ 蛇足

以上で、私からの主たる応答は終わるが、最後に何点か細かい部分を指摘したい。

戦前戦後の断絶説と連続説

大谷氏は、終戦直後の日本人の変貌ぶり、つまり戦前との断絶は、「今日のわれわれには信じ難いものである」と述べ、まるで戦後世代には断絶説が受け入れられないものかのように書いている。 しかし、私の印象になるが、俗説レベルでは断絶説のほうがはるかに浸透しているように思う。 たとえば、「一億総懺悔」は平成生まれ世代ですら(きちんと勉強していれば)よく知っている言葉である。

そもそも戦後思想の研究では、断絶説と連続説(およびその中間説)をめぐる論争が非常に長らく行われてきた。戦前世代や戦中世代が断絶説だけを支持していたわけでも、断絶説という「真実」が歴史とともに忘却されてきたわけでもない。

『日米会話手帳』の「伝説」

戦後の伝説的なベストセラーである『日米会話手帳』が重要な事例であることは疑いないが、「3ヶ月」で「360万部(4~6世帯に1冊)」も売れたという「伝説」は、個人的にはあまり信用しないほうがよいように思う。

その最大の理由が、戦後直後の物流である。 周知の通り、当時は物流インフラが壊滅的なダメージを受けていた。仮に英語熱がきわめてブーストされていたとしても、東京をはじめとするいくつかの都市で刷られた書籍が全国津々浦々の世帯にまで浸透するのに3ヶ月はあまりに短すぎるように思う。私が知る限り、先行研究はいずれも、同書の執筆者の回想(有り体にいえば「自慢話」)を根拠にしているが、一方で、客観的な史料にもとづいて販売期間・販売部数を試算しているものは見当たらない。

分析者の世代を「根拠」にすること

かなりの蛇足になるが、歴史研究は史料を最優先にすべき分野であり、分析者の世代的経験を根拠とするのは、上手い方法とは思われない。 これは、聞き書きなども含めた広義の「史料」を前提にしたとしても同様である。

史料に基づいて、歴史観の当否を議論すればよいのであり、「戦後の厳しい時代を実際に体験したわれわれ世代には、とうてい考えられもしない史実を無視した乱暴な発言」というように、分析者の世代を根拠にした属人的批判は、歴史研究では慎むべきだろう。

その根拠として3点あげる。

第一に、同時代人だからといって当時の状況が正確に把握できるわけではない。「日本人の英語観」のような思想的・マクロ的なものであればなおさらである。

第二に、記憶は容易に歪むため、「経験したから」だけでは根拠にならない。 話者の記憶を最も大事にしてきた分野の一つであるオーラル・ヒストリーであっても、記憶を即、史実とみなすような素朴な認識論を前提にする人はいないだろう。

第三に、戦後思想研究で、重要な貢献をしてきた研究者の多くが、いまや、戦後生まれである。 上記に引用した吉見俊哉氏は1957年生。小熊英二氏は1962年生。 ついでに言うと、大谷氏は1933年生まれであり、終戦直後は10代前半だったわけだが、大谷氏の理屈にしたがえば「たとえ中学生であっても経験していれば語ってOK」となるのだろうか。 私は松本サリン事件を中1のときに経験したが、当時の資料や後年の先行研究を見ずに語ろうなどという大それたことはまったく頭に浮かばない。

参考文献

本記事で紹介した書籍が以下。


  1. 「事例に輪郭があるもの」とは、たとえば、主権国家の独立、クーデター、法律の成立、組織の成立など。