小学校英語教育学会の自由研究発表に応募した。すると、大会運営委員会は、自著の宣伝を(内部の運用上)禁止しているらしく、修正を要求された。8月の話であるので、一応解決済みではあるが、あまり有効な方針ではないように思うので私見を述べておきたい。(本件はプライバシーやデリケートな話題には該当せず、学会名をぼかすことはオープンな議論上むしろ不誠実だと考えるので、明記することにします)。
やっかいなのは「宣伝」という言葉である。定義次第で、あらゆる研究は「自著の宣伝」になってしまうからだ。
宣伝を広義でとるなら、自分の著作の有効性を主張する行為の総称となるだろう。 一方、「宣伝はいけません」というニュアンスにおける宣伝(狭義の宣伝)は、主題との合理的な関係がないにもかかわらず自著を持ち出す行為となるだろう。
しかし、最大の問題は、外形的には広義の宣伝なのか、狭義の宣伝なのかはわからないということだ。 私たちは広義の「宣伝」をしているつもりで自著を予稿集に掲げたところ、見た目上は、狭義の宣伝にも見えなくもないという理由で、修正を要求された。
研究発表は多かれ少なかれ自説の有効性を広く知ってもらうための場なのだから、広義の宣伝を禁止するのはナンセンスである。 したがって、大会事務局の焦点は、狭義の方の「自著の宣伝」にあることは間違いない。これを禁止しようとする理由は教えてもらえなかったが、背景は理解できる。過去にそういう業者まがいの発表者がいたのだろう。
しかしながら、外形的に見て「自著の宣伝に該当する(あるいは該当しかねない)行為」への対処法としてこれは賢い方法なのだろうか。自粛を呼びかける程度ならともかく、禁止という制度・慣習をつくって取り締まろうとするのは、真面目に研究・発表しようとている人間(今回の私たち)が割を食う。
真面目にやっている研究者として言わせてもらえば、自著が発表内容をカバーするものであれば、それを提示しないのはオーディエンスに不親切である。そればかりか、形式上は、剽窃行為とみなされてもおかしくない。もっとも、学会の特殊事情から「これは剽窃ではないですよ」と理解してもらえるだろうが、それはそれとしてたいへん気持ちよくないものである。
業者まがいの自著宣伝を「取り締まる」ために、私たちが割を食うのは、納得行かないということである。
業者まがいに向けたメッセージとして、「自著宣伝は恥ずべき行為だ」と精神論で訴えて、制度運用上は何もしないというのが最適解じゃないだろうか。