猛暑の中、エスペラント展へ。
「サルート」
と言わなければならないのかな。。。すこし気恥ずかしいな、という非コミュ振りを全開にしつつ、おそるおそるフロアに入る。
普通に「こんにちは」でよかった。
* * *
さて、展示を見ていて、兼ねてから疑問だった、エスペラントの母語化について、謎が氷解した。
その謎とは、エスペラントは中立言語を謳っているから、ネイティブスピーカーが生まれたら理念に反するんじゃないのか?それって結構危ういことじゃない?というもの。実際に、数としては少ないながら、エスペラントで出会ったカップルなどの子どもたちなどは母語として身につけているらしい。このようなエスペラント子育てカップルをどう考えるのか興味があった。
『週間金曜日』の木村氏のコメントによれば、
エスペラントの「言語的正しさ」はあくまで、ザメンホフ(ら)の文法規則・造語規則に忠実か否かで判断され、ネイティブスピーカーの「直感」は必ずしも優先されない
(要旨、おぼろげに要約)
とのこと。なるほど。その発想はなかった!
この解釈ってチョムスキアンとかは卒倒するほどのパラダイムシフトなんじゃないだろうか。
それにしても、なんだかんだ言って、自分も「母語」脳に縛られていた。
これだけ見ると、母語尊重主義と相対立するように見えるけれど、まあ、両者で「尊重」の中身がだいぶ違うわけだし、そこを考えたらおもしろそうだなとは思いつつ、帰路につく。