こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

日本的「小学校英語」(Hashimoto 2011)



Hashimoto, Kayoko. 2011. Compulsory ‘foreign language activities’ in Japanese primary schools. Current Issues in Language Planning, 12 (2), 167-184.


小学校(初等教育)から英語を学び始めるのは世界的な流れだが、諸外国の導入事例と日本の近年の公立小学校で行われているものはけっこう異なる。ついでに言えば、一般的にイメージされる「早期英語教育」ともけっこう違う。この論文は、こうした日本的な独特の「小学校英語」を、(おそらく想定読者である)日本国外の言語政策研究者に紹介する、というものである。ただし、単なる事実の記述と言うよりは、批判的談話分析(Critical Discourse Anlysis)を用いた、政治的・イデオロギー分析が中心になっている。


章立ては以下の通り(節番号はてらさわが勝手にふった):

1. Introduction
2. The political climate: government revitalisation unit screening
3. Plan to cultivate ‘Japanese with English abilities’
3.1. Prime Minister’s Commission on Japan’s Goals in the 21st Century
3.2. Plan to improve English and Japanese abilities
4. The new Course of Study for ‘foreign language activities’
4.1. The ‘in principle English’ rule
4.2. Curriculum continuity between primary schools and junior high schools
4.3. Fostering communication abilities through foreign languages
5. Conclusion

「日本的」小学校英語

ところで、日本の小学校英語は「独特」だと言ったが、それをもっとも端的に示すのが正式名称である。諸外国のものと異なり、「小学校英語科」ではなく、「外国語活動」である。この差異は、単に表面的違いにとどまらず、教育内容の正当性をめぐるロジックの違いにも反映されている。たとえば、

「活動」であって「教科」ではない
国語や数学のように日本の学校教育の枠組みで定義されている「教科」とは違う、ということ。教育関係者以外のひとにはよくわからないロジックかもしれないが、「道徳」の授業をイメージしてもらうとわかりやすい。「教科」ではないので、成績をつけない、とされる。(なお、学校で行われている教育内容の各カテゴリを「教科(subject)」と呼ぶことは、必ずしも不自然ではないので、ここのロジックはあくまで日本の学校教育上の定義によれば「教科」ではないということ)
「外国語」の活動であって「英語」の活動ではない
建前上は、外国語であれば英語に限らず様々な言語を取り扱っていい、ということになる。ただし、実態は英語一辺倒である点は、諸外国の実践とたいして変わらない。また、指導要領では、「外国語活動においては,英語を取り扱うことを原則とすること」となっている。
英語の運用スキルそのものよりも、「コミュニケーション」への態度
文部省の見解としては、明示的に英語の運用能力育成をうたっているわけではない(ただし、そう読めなくもない記述もあるが、まあ、玉虫色の記述)。むしろ明示的に繰り返し記述されているのは、日本語も含めたコミュニケーション能力に関連する態度の育成である。

コメント

日本の特徴を的確に記述した論文だが、そのような特徴がどのように生まれてきたか、いわば「日本的小学校英語の〈誕生〉」的な分析が意外と少ない。海外の言語政策研究者は(事例の転用可能性の点でも)そのような政策形成過程にも興味があるのではないだろうか(自分も興味がある)。