「これからの時代、社会に出たら、英語力が絶対必要だ」
最近では、ごくありふれた発言である。この手の発言は、表現に多少の差はあっても、仕事において英語力がいかに重要かを強調するという点で、ビジネス言説である。たとえば『プレジデント』(プレジデント社)や『アエラ』(朝日新聞社)のようなビジネス誌をひらいてみれば、英語に関する特集がことあるごとに組まれている。
しかし、これは、ビジネス言説であると同時に、教育言説でもある。なぜなら、この言説を積極的に「利用」しているのが、教育に携わる人々、つまり英語教育/英語科教育*1の関係者だからだ。
英語(科)教育関係者にとって、この言説が「重宝」するのも当然である。というのも、仕事における英語力の重要性が高まれば高まるほど、英語力育成の役目を担う英語教育の意義は高まるわけで、結果、関係者は利益を得るからである。わかりやすいのは営利企業の場合で、英語の意義が高まれば、英語関連商品・サービスが売れるので得になる。一方、非営利の英語教育関係者であっても利益は得られる。たとえば、英語教師としての職業的効能感が、英語力の意義が向上すれば、より満たされるようになるからである。
もちろん、英語教育とビジネス言説の「親密な関係」は今に始まったことではない。じじつ、「老舗」の英語教育雑誌である『英語教育』(大修館書店)では、1960年10月号で、既にそれに類したことをやっている。「アンケート『役に立つ英語』 ―実業界の意向―」と題し、有名企業が新卒社会人にどのような英語力を求めているか、数ページにわたって列挙しているのである。現代ならば、まるでビジネス誌や就職情報誌などがやりそうな特集である。
「実態」調査の問題
このような事情を考えると、英語教育の領域における「社会では英語力が必要だ」という冒頭の発言には怪しさが増してくる。事実をただ描写したというより、英語関係者の利益にかなうようにバイアスが、意識的にせよ無意識的にせよ、かかっている可能性があるからである。公平性・中立性・客観性が求められるはずの「実態調査」もこうしたバイアスから無縁ではない。「実態」がどうであれ、英語が仕事で必須のスキルだという「認識」が広まれば、英語関係者(英語産業や英語教師)は、何らかの利益を得ることができるからである。もちろん英語産業が経済的利益を得ることは明らかだが、営利企業に属さない英語教師であっても、自身の職業的効能感が充足されるという点で、象徴的な利益を得られるのである。残念ながら、こうした危惧は、下記にあげる「実態調査」の調査設計などをみる限り、現実のものと言わざるを得ない。
仕事における英語力の重要性を調べた「実態調査」は、すでにある程度なされているが、近年のもので比較的規模が大きいものとして、「上場企業における英語スピーキング・ライティング力に関する調査」(国際ビジネスコミュニケーション協会 2010)および「企業が求める英語力調査」(寺内 2010)があげられる(なお、特定の大学・短大の卒業生などを対象にしたアンケート調査など、小規模のものは割愛する)。
前者は、国際ビジネスコミュニケーション協会によって、2010年1月、上場企業全企業を対象に郵送によって行われた調査で、回収率は10%強である。また、後者は、いわゆる「科研」の調査として行われたもので*2、2006年2月から12月にかけて、各企業にウェブ経由あるいは直接配布により行ったアンケート調査である。その総回答者数7,354名である(回収率不明)。
これら二つの調査に共通する点は、その結論である。すなわち、いずれも日本社会において仕事における英語の必要性が増大していることを強調している*3。しかしながら、このような結論が、中立的・客観的な分析に基づいて導き出されたとは考えにくい。というのも、前者の調査主体である「国際ビジネスコミュニケーション」は、TOEIC テストなどを運営する財団法人であり、「仕事で英語が必要」という認識の浸透によって利益を得ることができるからである。
また、後者の調査は「科研」の調査の一部であり、中立的な印象を受けるかもしれないが、調査協力者として、上述の国際ビジネスコミュニケーション協会が名を連ねており、必ずしも利益団体から距離を置いているわけではない。さらに、同調査は、政策形成と深い関係さえ見てとれる。同調査は、研究代表者である小池生夫によって「第3回教育再生懇談会」に引用され*4、英語教育改革案への資料として利用されているが、そもそも小池は1990 年代ごろから、文部科学省の各種懇談会など教育政策形成の中枢に位置し、英語教育改革を積極的に進めてきた人物である。
こうした背景を考慮するならば、同調査に明確な政策的意図があったことは容易に想像できる。こうしたバイアスの存在は、調査設計をみると決定的である。上にあげたふたつの調査は、その調査設計の点で社会調査として深刻なタブーを犯している。いっそう深刻なのは、この「タブー」が、たとえば谷岡一郎著『「社会調査」のウソ』(2000、文春新書)など「調査リテラシー」入門書にも書かかれている、ごく常識的なものである点だ。しかしながら、いずれの調査にも、タブーを犯していることは明記されていない。意図的かどうかはさておき、とにかく何も書かれていないのである。、
「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)
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というわけで、具体的な「タブー」違反については、次の記事で
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「仕事と英語」言説と欠陥調査、その2 - こにしき(言葉、日本社会、教育)
*1: 「英語科教育」は、日本の学校教育、とりわけ中等教育機関における正規の授業としての英語教育を前提とする(すなわち学校教育法を根拠法とする)のに対し、「英語教育」はそのような限定性はなく、様々な学校段階(たとえば小学校や大学)や教育機関(たとえば英会話学校)にわたり、あるいは、理論的志向の強い「英語習得」研究のように、特定の教育機関を前提としないことさえある。つまり、後者は前者を包摂する。このような包摂関係にもかかわらず、なぜ「英語科教育」もわざわざ明記したのかといえば、「仕事と英語」という、本来は社内教育( On the Job Training : OJT )のような「英語科教育の埒外」として理解されるであろう論点が、容易に英語科教育の議論に「密輸入」されることがあるからである。その代表的な例が、「英語が使える日本人のための行動計画」(文部科学省 2003 )である。
*2:寺内( 2010 )によれば、同調査は、科学研究費補助金基盤研究 A 「第二言語習得研究を基盤とする小、中、高、大の連携を図る英語教育の先導的基礎研究」(課題番号 16202010 )の一部である。
*3:なお、後者の調査にとって「英語力の必要性の増大」は前提とされているが、そのうえで、調査の結果から「高い英語力」が必要であると結論づけている点で、この文脈に位置づけられる。
*4:配付資料が、 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/kaisai/dai3/2seku/2s-siryou2.pdf で閲覧できる( 2011 年 8 月 30 日現在)