拙著『「日本人と英語」の社会学』が刊行(「まえがきが」をアップ) - こにしき(言葉、日本社会、教育)
拙著の刊行から3ヶ月が経ちました。多くの方に手にとって頂けたことに感謝いたします。
同時に多くの方からご質問を頂くことがあります。なかには(学術書ですから当然ですが)批判めいたものも頂きます。
よく頂く質問(あるいは批判)のうち、比較的簡単にお答えできるものをこちらにまとめます。(随時更新)
Q1 このデータは有用ですね。私でも入手できますか?
A1 東大社研「社会調査データアーカイブ」(通称 SSJDA)から申請の上、入手可能です。研究者や院生であれば誰でもアクセスできます(学部生も一部可)。「研究者」の定義については、下記のSSJDAのウェブサイトをご参照ください。
http://csrda.iss.u-tokyo.ac.jp/
Q2 第8章であなたは「英語使用」に基いて英語の必要性を議論していますが、「本当は英語使用の必要性があるのに、英語力がないために使用できなかった」人の存在を無視していませんか?
A2 その点について私はすでに9章の分析で対応しています。詳しい議論は、181ページの7行〜23行で行っていますのでご確認ください。
Q3 第8章や終章であなたは「英語の必要な人は1割しかいない」と主張しているが、「1割もいる」とだって言えるはずだ。コップの水を「半分もある」と感じるか「半分しかない」と感じるかは人次第である。
A3 結論から申し上げると、あなたの「要約」は正しくありません。
本書で必要度を論じるときには比較対象を必ず明示しています。8章の「まとめ」(pp. 175-176) をご覧ください。
コップの水の量だけを見て、突然「わー、半分しかない!」と叫んだわけではなく、従来そのコップの水量に関していろいろ言われていることを総合的に考慮したうえで、「今までこう言われてきたけど、実際には半分しかない」と結論づけたわけです。
英語の必要度に関しても同様です。従来英語使用が必要だとか必要でないとかいろいろ言われてきたわけですが、その詳細を各章の前半で整理したうえで、そうした言説と比較して、「実際の必要度は高い/高くない」と議論しているわけです。
Q4 第4章補節の「英語教育目的のトリレンマ」について。つまり、あなたは、「英語力アップを目指す目的論には、抽象的・理念的な目的がないからダメだ」と言っているわけですね。
A4 ちがいます。トリレンマ(つまり「学校英語の目的を構成する3つの原理は全てが同時に成り立つことはない」)を示した意義は以下の点にあります。
- 学校英語の目的として従来いろいろ言われてきていて、最低でも4つの立場があるが、どれが最も認識論的に正しいかを導出することは論理的に不可能である。
- 論理的不可能性は、英語使用ニーズの低さに由来する(仮に日本社会の英語ニーズが飛躍的に増えれば、学校英語の目的について論じる必要がなくなり、論争もなくなる)
- 「認識論的に正しい/正しくない」は判断できないので、倫理的な正しさを論ずるしかない。つまり、どの原理をより優先するかの倫理的判断。
つまり、特定の目的論を論駁するための議論ではありません。
Q5 トリレンマ(4章補節)を持ちだして、あなたは「『中学では英語の基礎を育成すべきだ』という意見は間違い」と言いたいんですか?
A5 ちがいます。ひとつ上の回答(A4)をご覧ください。
Q6 第3章であなたは「日本人の英語力は(世界一下手というほどではないにせよ)国際的に見て低いほうだ」と言っている。EF社の調査によると日本人の英語力は中位グループである。
A6 EF社の調査とは「EF EPI 英語能力指数」のことを指していると思います(以下のウェブサイト参照)。
http://www.efjapan.co.jp/epi/
結論から述べると、「X国民の平均的英語力」の指標としては信頼性は低いと思います。EF EPI の妥当性については以下のシノドスの記事で議論していますのでご覧ください。
http://synodos.jp/education/9264/2 (とくに下から2番目の段落)
もちろんこの議論は書籍の中ではしておりませんので、以上のような疑問を持たれることは無理もないことだとと思います。
Q7 英語学習の目的は仕事のためだけではありません。英語使用には「生活全般を豊かにするため」という必要性もあるはずです。あなたの分析はビジネス偏重ではないでしょうか?
A7 本書の第8章・第9章の分析に対する批判だろうと思いますが、仕事以外の英語使用ニーズに関する分析は第4章でしています。
Q8 第9章で2006年と2010年を比較して「英語使用率」は減ったと述べているが、現在(2015年)や未来のことはまったくわからないのでは?今後もっと増加する可能性は?
A8 9章の「今後の英語ニーズのゆくえ」(pp. 188-190)という節で議論しています。
ちなみに、学問では未来予測においてデータそのものより理論が重要になります。「過去のデータから理論を構築し、その理論をもとにすれば未来はある程度わかる」と考えるからです。「過去のデータから未来はまったくわからない」というのは学問の軽視ですから占いにでも救いを求めたほうがいいのでは?