以下の続き。
- 1章: Introduction. (Horiguchi, Imoto, and Poole. eds. 2015. Foreign Language Education in Japan. Sense Publishers.) - こにしき(言葉、日本社会、教育)
- 2章: 日本語補習校、現地と文科省との板挟みの中で - こにしき(言葉、日本社会、教育)
- 3章. 英語教科書執筆をめぐるアイデンティティポリティクス - こにしき(言葉、日本社会、教育)
- 5章. 日本の大学語学教育は、なぜヨーロッパ共通言語参照枠(CEFR)を受け入れたのか - こにしき(言葉、日本社会、教育)
- 6章. インターナショナル「一条校」の憂鬱 - こにしき(言葉、日本社会、教育)
8.1. Introduction
8.2. Michel Foucault's concept of power and discourse
・"how of power" question: "Foucault attempted to generally explicate how power was internalized by individuals"
・power formation のなかで集団を秩序付けるのが discourses
・discourse は「話すべきひと」「話されるべきこと」を authorizeし、特定のひと/ことを排除する
8.3. Study
8.4. Site
西日本の短大、英文科。27人の生徒。4Bクラスだから「4Bers」と呼ぶ。
Phonetics Class と Discussion Class がある。
8.5. Participants and their one-year trajectory
「調査をしていくなかで発音の問題が salient になったからより深く調査した」という記述あり。
8.6. Two courses, two discourses, two pronunciations
Phonetics コース:同校の伝統的なクラスで、IPAを使ってネイティブライクの発音指導をLanguage Labで叩き込むコース。4Bersは、語彙や文法知識を増やしたいということは殆ど言わなかったが、一方「きれいな発音」習得には情熱を示した。
8.7. Discussion course
ディスカッションコースになると、Phonetics コースでは見られた 4Bersのネイティブ志向の発音がなりをひそめ、典型的な日本人発音に変わった。
8.8. Discussion
・【雰囲気という言説】通常のクラスルームではとてもアクティブな学生が、なぜグループワークでは発話が減ったのか。"Because the fun-iki of the class is already fun-iki of not speaking English" "The ambiguous term, fun-iki, "atmosphere" well reflects the Foucauldian notion of discourses. "
【日本という教育慣習が power として働く】「Discussion クラスでは積極的にならず、Phonetics クラスでは積極的になる」というpractice には、"Japanese-medium, teacher-centered, drill-based classes in which perseverance and repetition are required" が深く根ざしている。
8.9. Conclusion
本研究は、「なぜ英語教育改革施策を現場に導入すると失敗するのか」を明らかにするヒントがあるかもしれない。失敗に how of power が絡んでいるかも