こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

《記憶》、そして英語教育観について

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性


はずかしながら、いまごろ、小熊英二著『〈民主〉と〈愛国〉』を読了した(私の重い腰を上げさせたのは、綾部編『言語人類学から見た英語教育』の綾部論文。多謝)。周知のとおり、注・索引も含め900ページを優に超えた大著であり、これほどの膨大な情報はまだ消化しきれていないので、以下、英語教育に関連づけて(ようは我田引水!)、思いついたことを少しだけ。


本書で著者は、およそ70年代までの「戦後思想」に色濃く反映された、日中戦争・太平洋戦争前後の《記憶》を膨大な史料ともに鮮やかにかつ綿密に示している。そしてその戦後思想は、それぞれの思想を牽引した人々の《記憶》の差異(世代の差、学歴や出身階層の差、そして出身地域の差)を大きな原動力として、変遷していったのだという。


戦後の英語教育の歴史を考える上でも、《記憶》の問題にもう少し注目が集まってもよいと思った。ここで《記憶》という語で意図しているのは、たとえば、「英語の授業は文法指導ばかりでつまらなかった」とか「中学校の頃の英語の先生の発音はひどかった」といったような、どちらかと言うと《強度の弱い》記憶ではない。そうではなく、たとえば、戦争体験や、戦後直後の貧困、占領体験(反米感情)、あるいは、高度成長期やバブル期(「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代)などの《強い》記憶を念頭に置いている。


ここでの《強い/弱い》という対比だが、、教育と対峙するときに、いわば「フラッシュバック」のように甦ってくる、あるいは無意識のうちに行動原理と化しているものが《強い記憶》であり、一方、意識として問われればはっきりと言語化できるものの、心の深い部分に蓄積されていない、いわば意識の中で優先順位が低いものを《弱い記憶》としている。(もちろん、「先生の英語がひどい」というような《記憶》が強烈に頭から離れない人も存在するのは確かで、これは決定的な区別ではないが、「日本人」全体で見れば、「英語教育へのルサンチマン」は明瞭でありこそすれ《強度》はそれほど強くないと思う。この点は、また後日述べたい)。


特に本書との関連で言えば、1950年代の英語教師が、戦争・敗戦の《記憶》をどう処理し、どう《正当化》したのかという点は興味深い。特に、前線で戦友を「見殺し」にせざるをえなかった兵士、空襲で筆舌に尽くしがたい光景を目の当たりにした(主に都市部の)人々、戦後(時には日本人女性と腕を組んで)我が物顔で町を歩き回る占領軍、このような事実が存在していながら、《英語》という「アメリカ合衆国」を容易に象徴する言語をどのように正当化しえたのか、という問題である。今夏、1950年代の『英語教育』誌の記事をすべて読んだが、この点に言及し「悔恨」―『〈民主〉と〈愛国〉』のキーワードのひとつである―の感情を吐露したものはなかったように思う。この点については、もうすこし慎重に分析したい。