こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

戦後初期の山村における英語教育を伝える資料 ---禰津義範著『英語カリキュラム』

禰津義範著 『英語カリキュラム』 開隆堂、1950.


日本英語教育史学会制作の文献リスト一覧によると、開隆堂から刊行されていた「英語教育叢書」の第1号らしいです(ただし、今回チェックした文献にはそのような表記なし)。


「英語カリキュラム」というシンプルなタイトルからは想像しにくいですが、本書は、徹頭徹尾「農山村」を念頭に置いています。筆者は、長野県下高井郡の「一年間のうち5ヶ月は雪の中(p. 15)」の中学校に勤務する英語教師であり、そのような苛酷な環境の実情に密着した英語教育カリキュラムをいかに組織していけばよいかを論じています。


こうした趣旨は、本書の冒頭「はしがき」にありありとあらわれています(なお、引用文の旧字は新字に改めています)。

ローソクの下で、ラジオも聞けず、日刊新聞さえも読めないという、文明からとりのこされた地域社会に於ては、それが学術的に如何に価値あるものであっても、ビルディングの中で論理的に立案構成された「カリキュラム」というものは、実際に直ちに現場教師の真の「なやみ」解決には役立たないという現実にかんがみて、あえて浅学非才の身をもかえりみず、あゆみきたった経験を体系づけ、「英語カリキェラム」なる拙著を発行した次第である。(p. v)

農村の英語軽視

戦後初期、東京をはじめとした都市部と農村の間の「文化格差」はいまとは比べものにならないほど大きいものでした(cf. 小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』)。外国語(英語)は、「文化の高さ」を象徴するもののひとつであり、そうした文化格差を如実に反映したものでもありました。。


同書の中で、著者は、農山村ではいかに「英語」が軽視されていることがことあるごとに述べています。今ではちょっと驚くような発言すら紹介しています。例えば以下のようなもの:

殊に農山村の地域に於ては、自然のままでは英語に対する要求は全くなく、否むしろ封建的なこの社会では、英語を危険視し、「英語は人間を堕落せしめるものである」という誤った観念さえ持っている(p. 1、強調引用者)

家庭は英語教育に対しては全く無理解であり、封建制の強い地域社会に於ては、英語に対して常に杞憂の念をいだき、英語学習のブレーキとなっている(p. 5)

[PTAやその他地域の人々のなかには]「英語などどうでもよいのだ」「英語が出来なくとも他の教科が出来ればよい」「英語が出来てもえらくはない」等は未だ黙認し得るとしても、「英語の出来る者は不良の奴だ」等の甚しく誤った認識をもっているものが農山村等の地域社会には多いのである。(pp. 47-8)

「英語は人間を堕落させる」とか「英語は不良のやるもの」などと言われて、いろいろストレスがたまっていたんではないかと勝手に想像するわけですが、とにかく、地域のバックアップがほとんど期待できなかった状況ではあったようです。特に、戦後初期は、「学校教育は地域社会および生徒のニーズに応えるべき」という戦後新教育の考えかたが浸透していたので、地域の声を無視して勝手にカリキュラムをくむことははばかられたはずでしょう。著者もこうした点をかなり重視しており、地域社会の実情に立脚したカリキュラム編成を再三訴えています。

タニシ・イナゴをとって英和辞典を買う

都市と農村の地域格差は、単に「文化の差」だけではありません。その原因あるいは結果としての経済格差も大きなものがありました(なお、終戦直後に関しては、農村地域よりも、度重なる空襲で壊滅的なダメージを受けていた都市部のほうが食糧難・貧困にあえいでいましたが(橋本健二『格差の戦後史』)、本書刊行時の1950年ごろになると、都市部の復興はすでにかなり進んでいます)


たとえば、以下の、生徒が辞書を持っていない、買いたくても買えない、というのも、現在では(表だって)言われることの少ない経済的な悩みでした。

簡易英和辞典を購入することにしたのである。しかしこの簡易英和辞典を全部の生徒が買うということは経済的に非常に無理があるので、貯金とアルバイトによって、第三学期の初め第九単元 (9th unit) 「読み方」の単元がおこなわれるころに購入することにした。即ち、学校の子供協同組合への毎月の貯金額の平均は一人で五円であるが、これを毎月十円に増加すると共に、年中行事の一つとして、学校の生徒全部が春には「たにし」拾いを行い、秋には「いなご」取りを行って、文庫費をつくることになっているので、第一学年の生徒はその際に一時間多く働いて、英語辞典購入費用をうみだしていくことにしたのである。(p. 20)

当時は、イナゴを売って文庫費にする学校行事はしばしば行われていたらしいですが(長野県出身の私も、この話を聞いたことがあります)、いずれにせよ、現代とは比較にならないほど苦境だったことがわかります。


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ところで、同書、大変な困難にもかかわらず、「ローカル」発の「民主的」な教育実践に積極的に取り組んでいて、個人的にはすばらしい実践だと思うんですが、出版の数年後、石黒魯敏(言語学者・石黒魯平の別名)にけっこう厳しく批判されています。どんな事情があったんでしょうか。それはまた後日。