こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

渡部昇一氏の英語教育「選択制」論

国民の教育

英語教育関係者にはわりと有名な(ような気がする)「平泉・渡部論争」というのが、1975年にあった。


ごくおおざっぱにいえば、平泉渉・当時参議院議員が、英語教育を選択制にせよ、と提案したのに対し、渡部昇一当時上智大学教授が、英語教育は「国民全員に必須の教育だから、選択制にすべきでない」と猛反論したのだった。(もうすこし詳細な要点は、こちらに書いた→英語教育大論争(平泉渡部論争)をできるだけ短く要約する - こにしき(言葉、日本社会、教育)


そのおよそ四半世紀後、渡部昇一氏は、その著書『国民の教育』のなかで、当時と180度逆のこと、つまり、平泉氏とほとんど同じようなことを言っている(ようにみえる)。同書は話題になった本なので、知ってる人は知っているのかもしれないが、私の周囲ではあまり聞かないような気もするので、ここにご紹介。

エリート用と一般用で、2種類の英語教育課程を用意する

以下は、同書14章「英語力は発信力を身につけること」より。渡部氏は、1970年代にあれほど強固に反対していた英語教育の選択制を、あっさりと肯定している。

一般人の英語教育についても、現行の制度を改める必要がある。それは、コースを二種類に分けることである。戦前、旧制中学に入るのは日本男子の約一割であった。一応みんな小学校の優等生なのだが、そのうち旧制高校の入学試験程度の英語が読める、英作文ができるという人は一割いるかとうか、といったところであった。


一割のうちの一割だから、じつに百人に一人程度ということだ。この「できる」というのは、基本的な文法を理解し、英語で作文ができるかどうか、そして文章の構造を説明する力があるかどうかが目安になる。基本的な骨組みとなる英文法を理解していて、それによって人に笑われないような作文ができるレベルである。(p. 308)

1970年代の平泉氏の提案(いわゆる「平泉試案」)は、「選択制」と言っても、英語を履修する人・しない人を完璧にわける「ガチ選択制」ではなく、もう少しマイルドなものだった。一部のひと(5%程度)には徹底的な訓練を与え、それ以外の多数の人にはごく常識的な ---中学校1年修了程度の--- 英語の知識を与える、というものだった。本書の渡部氏の提案は、エリート用と一般用をわけるという点で、「平泉試案」と同路線のように見える。


そんなかんじで、渡部氏は、英語を本当に「読み書きできる」ってのは、人口の1%くらいしか到達できない高度なスキルなんだ、ということを説き、だから、「アメリカの小学生でもできる(p. 309)」会話の力のようなものだと思ってもらったら困るという。その流れで、つぎのような漢文のアナロジーを持ち出す。

英語に限らず、たとえば江戸時代には漢文が盛んであったが、誰にでも漢文を教えたわけではなかった。漢文ができたのは、それこそ百人に一人が、二百人に一人であったと思う。読み書き・算盤までは、ある程度だれでもできるが、漢文を読むとなると飛び抜けた秀才でないとできない。だから、すべての人に漢文を教えることはしなかったし、もし教えたとしても、ものにならなかった人は多数いたに違いない。(p. 309)

漢文のアナロジーは、30年前の論争においても、渡部氏が愛用していたものだった。しかしながら、当時は、選択制を批判し、国民皆がほぼ同じ内容の英語教育を受けることの擁護に使われた。むかしの「日本人」も漢文で教育を受けていたんだから、いまの「日本人」も当然やるでしょ、みたいなロジックである。ちなみに、平泉氏に、「漢文をやってた日本人なんてごく少数では?」と突っ込まれていたが、華麗にスルーしていた(笑)(→この記事の【脚注3】を参照

「希望者だけ」が英語を学ぶ

選択制にした場合、誰にやらせるかという問題に関するコメントも平泉試案とそっくり

英語についても、きちんと文法を押さえて作文ができるようにする教育コースは、希望者だけにすべきである。日本人としても「きっちり文法派」は必要であるし、また、その人たちでなければアメリカに行って学位を取ることは絶対にできないだろう。そうした人たちのためのクラスをつくるのも、国際的な場で日本人が英語国人に負けないようにするために必要なことである。


一般の人については、それほどの語学力は必要ない。もちろん、英語は世界のリンガ・フランカであるから、海外に行って買い物をしたり食事をしたりするレベルの英語教育はしたい。しかし、それも簡単なことではない。とくに発音は難しいので、きちんとした発音ができる人から習わなくてはいけない。
(p. 309、強調引用者)


テストなどの選抜システムではなく「希望者」という、学習者の自己決定にゆだねるという提案も平泉試案と同一。平泉試案ではまさに「希望者」ということばをつかっていた。


あの論争から30年もたっているんだから、主張内容がまったく変わることは不自然なことでもないし、また、批判されるべきことでもないが、それにしては、「平泉試案」の「ひ」の字も出てこないのは大変不思議なことだ。


ちなみに、この本全体の主張は、(英語教育に限らず)戦後教育にはいわゆる「悪平等*1が蔓延していて、日本の教育の荒廃を招いた、だから、教育において「私」の領域をもっと増やせ、ただし教育内容は国や「国史」、皇室への誇りを育成させるべき、みたいなリバタリアン国粋主義が結合したような教育論である。そうした全体の論調から言うと、渡部氏が英語教育に関しても選択制を提案しているのは、むしろ整合性がある。逆に言えば、なぜ、1970年代には、選択制に反対したのか?1975年の論争がおさめられた『英語教育大論争』において、渡部氏は、1回だけ、「教育の機会均等」という根拠を持ち出して、選択制に反対しているが、それは、日教組進歩主義的な教育学者が愛用していたロジックではなかったか?

*1:悪平等」ということばは、教育における保守主義者が、戦後教育の平等主義を、都合がいいようにデフォルメしたものであるので注意。「おててをつないでゴール」のような「都市伝説」がよく持ち出される。