こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

日本人の国家アイデンティティと英語学習 (Rivers, 2011)

以下の論文を読みました。


日本社会における「ナショナリズム」「ペイトリオティズム」および「インターナショナリズム」という、さまざまな国家をめぐる意識と、英語学習に対する態度がどのように連関しているかを、社会心理学的なモデルに基づいて検討した論文。手法は質問紙を用いた計量分析(構造方程式モデリング使用)。回答者は、英語・国際コミュニケーションを専攻する日本人大学生。


英語教育政策だけでなく教育政策一般で、インターナショナリズムナショナリズムは表裏一体だということはよく言われるが、政策レベルだけでなく、大学生の個々のレベルでも両者が正の関係があった*1というのは興味深い。対照的に、ペイトリオティズム(郷土愛主義とでも呼べばいいか?)は、インターナショナリズムと負の関係がみられるというのも、わかる気がする。


ただ、ここで使われている「ナショナリズム(nationalism)」因子は、日常語のナショナリズムよりかなり狭いようだ。定義をみるに、「日本の政治的なプレゼンスを重視する意識」くらいの意味。ということは、いわゆる「文化ナショナリズム」のような日本文化の優越性をナイーブに仮構するような主張はここには入らないし、植民地主義や排外主義、レイシズムと結び付いた国粋主義的なナショナリズムもここからはずれるだろう。かといって、文化ナショナリズムが「ペイトリオティズム(patriotism)」に含まれるというわけでもないらしい。「ペイトリオティズム」の定義をみると、「日本(「ふるさと」ではない)に対するシンプルな愛着感、外国への不安感」といった意味なので、ここにも文化ナショナリズムが入る余地がない。吉野耕作氏が明らかにしているとおり、日本の外国語教育・教師のあいだでは「文化ナショナリズム」のロジックが頻用・重宝されることを考えると、この辺がどう効いてくるか気になる。


文化ナショナリズムの社会学―現代日本のアイデンティティの行方

文化ナショナリズムの社会学―現代日本のアイデンティティの行方


あと、著者は単一のモデルを分析している点。SEMの作法がよくわからないのでアレなんだけれども、異なるグループによって異なる構造(異なる因果関係、パスの有無)を設定するというのは、あんまりやらないものなんだろうか?「親英米な英語好き」と、「ナショナリスティックな英語好き」だと、インターナショナリズムもかなり異なるロジックで受容・再生産しているような気もするので。


また、回答者のプロフィールを見るに、留学経験者が相当数いそうだが、留学経験によって構造がガラッと変わるということはないだろうか、などと妄想した。西部邁のように米国留学から帰国して、反米保守主義者になるような例もあるだろうし、そこまでいかなくとも、「外国に出て日本の良さを再確認」「日本が軽視されているという危機感を抱く」というようなエピソードははよく聞く。

*1:なお、同論文では「ナショナリズムインターナショナリズム」という因果関係を仮定している。