こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

わかりにくい文章の特徴:単語の選択ミス

わかりにくい文章、つまり読み手に不必要な負担を強いる文章というものがある。

たとえば文章指南の本などで「わかりにくい文章」をどうしたら防げるかという話になった時、論理関係をクリアに提示する方法ばかりが論じられる傾向があるように思う。

しかし、単語・表現の選び方も、「わかりやすさ/わかりにくさ」をおおいに左右する重要な要因だと思う。つまり、その言葉がどういう言外の意味を持つか、そして、その言葉は主にどのような文脈で使われるかをきちんと理解し、それに従って言葉を並べないとわかりにくくなってしまう。

これはしばしば次のような残念な例を見かけるからだ。あまり聞き慣れない難解な熟語、文学や映画のパロディ、何語かもよくわからないヨーロッパ風の横文字、とにかく教養を感じさせる慣用句等々が散りばめられている文章。そこから「どうしてもこの言葉が使いたい!」という自意識が透けて見える。それだけなら「感じが悪い」と思う人がいるくらいで大した害はない。しかし、もし書き手ががその言葉の「言外の意味/よく使われる文脈」を理解しないまま、「使いたい!」という情熱に動かされているだけだと、すごく読みにくくなってしまう。

例文

単語の選択の失敗はたとえば以下の様なものがある。文章はすべて私の創作なのであしからず。

否定的な文脈で肯定的な使われ方をする言葉を使う

【例】本作の根底に流れるメッセージについては評者は諸手を挙げて反対せざるを得ない。

その逆。肯定的な文脈で否定的な含意のある語

【例】これら四人の哲学者・思想界は当時の◯◯界を牽引する存在であった。・・・中略・・・19X0年代の××運動のほとんどすべてが彼らに先導されており、その意味で××運動は彼ら四人組の思想を体現したものであったと言える。

一般的な用法から少しズレている例

【例】こうした歴史的要因により、この地域では相対的に地方議会の存在感が大きく、国や大企業による様々な圧力のたゆまぬノーマライゼーションにより、高度な自治を達成している。


いずれにせよ誤用とまでは言い切れないが、ズレているせいで文章がだいぶ詩的になってしまう。それはそれで味があるが、「わかりやすい文章」業界ではそういう味は別に求められていない。むしろ読者の負担になるのでばっさり削除したほうがよい。

冒頭の話に戻る。かっこいい単語・教養あふれる表現を使いたいという気持ちはわかる。しかし、ここで普通の人ならば、「文脈にぴったり合わないから使うのを控える」ことを選択するだろう。ただ、背伸びをしようとする書き手はその感覚が麻痺してしまうのか、文脈を無視してそのことばをねじ込んでしまうようだ。

パッケージ化のしやすさ

文章指南書で「論理関係をわかりやすく明示する」というテクニックがよく言及される一方、「ことばの選択」があまり論じられないという事情もよくわかる。

ハウツーとしてパッケージ化することが難しいのだ。せいぜい「単語の含意・使われ方に注意しましょう」くらいしか言えない。これではほとんど精神論である。

この話は外国語での作文にもつながってきそうだ。論理表現に関するテクニックは一度身につけてしまえば、他の言語に簡単に転移するだろう。日本語で論理関係の明示テクニックをトレーニングしていれば、英語でもすぐにそれができるはずである。

一方、適切な単語を選択する技術というのは、結局、特定言語の語彙に依存するわけなので、転移はそう簡単ではない。せいぜい、「単語の選択が、文章のわかりやすさを左右する重要な要素だと理解している」というメタ認知が転移するくらいだろう。