こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

英語ブームのなかの「農村には英語不要」論


「英語を教えるのが英語教育」論がツイッターで話題になっていたので。


戦後は「英語ブームの時代」としばしばデフォルメされて描かれることが多い。「日米会話手帳のベストセラー」「カムカム英語のブーム」「役に立つ英語」など、英語に対する「国民」的な期待感が、終戦とともに一挙に噴出したかのように見えるからである。


しかしながら、それは、「国民」的な現象の一側面に過ぎなかったことはすでに先行研究で示されている(相澤真一 「戦後教育における学習可能性留保の構図――外国語教育を事例とした教育運動言説の分析」『教育社会学研究』76)。英語へ熱い視線が注がれたのはおそらく、都市部 ---とりわけ東京--- における現象であった。農村においては、「英語を学ぶ意味がわからない」という声が、生徒や保護者、はては教師自身からも噴出していたという(1960年前後の日教組教研集会外国語部会)。


以下の五十嵐新次郎の記事は、当時の新制中学校の「苦難」をありありと伝えている。

[戦中戦後に]ある英語の老先生が「何のために英語を教えるのかわからなくなりました」という発言をされ、それがいまだに私の耳にのこっています。英語教養論などがしきりに発表され、だから英語は必要なのだと自分自身にいい聞かせては見るものの、何となく落ち着かない当時の不安定な英語教師の気持を、その老先生の発言は代表しているように思えたからです。


戦後は、英語は必要だというムードや、まもなく戦前にも増してはげしくなった大学入試のために、英語はなぜ必要かという議論はいつの間にか消えてしまいました。


ところが、問もなく、英語はなぜ必要かという議論が、今度は義務教育の中学校の現場から持ち上がりました。ことに農山村漁村で英語を教えている教師たちの深刻な悩みになって来ました。「先生、なんで英語なんかやるだい。英語なんかいらねえと思うけどなあ」という声が生徒からも父母からも出はじめました。それに対して、どう答えたらよいのか、なおなお生徒や父母を納得させることはもち論、自分自身を納得させるだけの答えが出来ませんでした。旧制中学の英語教師たちは戦争にぶつかつて、考えました。新制中学の英語教師たちは、生徒や父母の声にぶつかって考えはじめました。生徒や父母の声にぶつかつて、英語という外国語は、義務教育の中学校教育に果して必要か、必要ならば、なぜ必要なのかということをしっかり、ふまえていなければ、英語を教えるどころではないということがわかって来ました。


この悩みは、大学入試や高校入試を目指しての英語指導に専念している限りは、消えてしまうかも知れませんが、中学校教育を完成教育と考え、中学だけで学校を終えて行く生徒達のことを考えるとき、中学校教育のなかで英語という外国語は、どんな意義を持っているのかということを、あらためて考えないわけには行きません。…
まず私達は外国語教育を、単純に外国語を教えることとは考えず、教育と外国語の言語・文化のぶつかり合いと考えました。…今年の[日教組教研集会]外国語分科会では、両者のかみ合わせを次の4点にまとめました。


1. 外国語学習によって、諸国民との連帯を深める。
2. 外国語学習によって、思考と言語との密接な結び付きを理解する。
3. 外国語の構造上の特徴と日本語のそれとの違いを知ることによって、日本語の認識を深める。
4. 外国語学習によって、その外国語を使う能力を養う。


五十嵐新次郎「英語教師志望のN君へ」『英語教育』1962年5月(強調引用者)


高校進学を希望しておらず、日常生活でも将来の職業展望にも「英語使用」にリアリティがない生徒たちを相手にする教師にとって、「英語を教えるのが英語教育」というシンプルな目的論が、いかに難題だったかがよくわかる。


現在、「英語を教えるのが英語教育」と言う一見「無前提」な言明が可能なのは、さまざまな「前提」を知らず知らずのうちにクリアしてきたからこそだということは忘れるべきではない。