これのつづき
「英語社会学」について(その1) - こにしき(言葉、日本社会、教育)
完全に徹頭徹尾「問題意識ベース」のアプローチではなくて、ある程度「社会学」の既存の枠組みとすり合わせながら、英語(の)社会学というものが構想できるとすればどのようなものになるか整理したい。
と言いつつも、前回述べたとおり「既存の社会学の枠組み」というものが確固としてあるわけではないので(試しに社会学の教科書を見ても構成はけっこうバラバラである)、そこから演繹的に下ろしてくることは(できる人ならできるだろうが)僕にとってかなり荷が重いので、ここでは華麗にスルー。
そのかわり、既存の社会学でわりと伝統的にとりあげられているテーマ、研究している人が多くいるテーマに焦点をしぼり、そこと英語に関する現象との接点を探るというアプローチをとる。
ちなみに、社会学には、「社会理論」の話に代表される「実証しない」タイプの研究も長い伝統を持っている(ソトの人が見たら社会理論の話を、「哲学なの?」と思う人も多いだろうし、実際境界例は多い)。英語教育の話とは無関係ではないのかもしれないが ――じじつ、既に先行研究はあるわけで(例:英語教育の哲学的探究2: 言語教師志望者による自己観察・記述の二次的観察・記述 (草稿:HTML版))、この手の話は僕がまったく手に負えないので、これもスルーする(笑)。それは得意な方がやって下さるということで。
そういう事情から、以下は経験的な研究に関わる「社会学的テーマ」だけに絞る。
とりあげる(だろう)テーマ
この文章を書きながら考え、あるいは、考えながら書いているので、まだ全体像ははっきり見えていない。
とりあえず、以下に思いつくまま暫定的なリストをあげる。